毎日、気持ちがうろうろおろおろと落ち着く暇もなく、悩みと祈りの日々でした。合間に、ちょっとずつ読むことはできても、書くことはまったくといっていいほどできず、仕事と用事をこなすだけの日々ばかりで。もどかしくてもままならず。今も、いろいろあるけれど、ちょっと気分を入れ替えないと、やってられないなと思って、断捨離をはじめました。
第一弾として、いろいろな書類や通知書や郵便物の整理をし、不要だけれど個人情報に関わるものはシュレッダー代わりのハサミで刻んで、できたのは恐ろしいほどのゴミの山。
なぜ、こんなにもためておいたのだ、自分?と思いつつ。これからは、本当に必要なものだけを残していこうと決意する。
断捨離をすすめていくにあたって、悩ましいのは本。特に、仕事と趣味を兼ねて集めていた語学関係の本は、ちょっとした本屋さん並みにたくさんある。たぶん今では、手に入らないものもあるかもしれない。そう思うと、もったいなくて手放せない。市の公共図書館に寄贈することも考えているけど、予約がたくさん入る小説の新刊ならともかく、利用者がいるかどうかもわからないものを大量にもらっても置き場所に困るのではないか。
めっちゃきれいやねんけどな。私以外の人が読みも触れもしてないから、新品同様なんだけどな。
他にも、某スケーター関連の本も大量にある。あまりに美本過ぎて、ゴミに出すのもつらく、かといって図書館にも持って行きづらい。こんなにたくさんいりません、といわれそうで。
いつも何かの役に立つかもしれないと、本をため込んでしまう一方で、ある日突然、思い切って手放して、やっぱり後悔して買い直す、を繰り返したこともある。
新潮文庫の赤毛のアンシリーズなどはまさにそれで、数年前に買い直したとき、もう死ぬまで手放さないと固く決意した。
ミニマリストにはなれそうもないけど、できるだけものは減らしておかないとな、と思う。整理して捨てられるものはさっさと捨てて、身軽に暮らしたいな、と。可能な限り、後にごちゃごちゃしたものを残さぬようにしないとな。
自分も、他の誰も使わないようなものを、ためこんではならぬ。もったいないからとて、置いておいてはならぬ。そう自分に言い聞かせつつ。
食器は、10年ほど前に、思い切ってめちゃくちゃ処分して、今は、ほんのわずかなものしか置いていない。でもそれでも十分すぎるくらいだ。つまり、ないならないで、なんとかなるものなのだ。
そうだ。来月には、燃えない粗大ゴミの日がある!その日に向けて、庭の倉庫に入れているものを、チェックしておかねば。心の中の断捨離の炎が燃えさかっているうちに、今やっておかねば。
もったいない、という言葉は、素敵で大切な言葉だと、どこかの本で読んだけど、今は、ちょっとだけ忘れて、お片付けしよう……^^;