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リアリティラインを考える

みなさんこんにちは。

ハマーです。


今回はリアリティラインについてです。


リアリティラインとは物語ごとの現実感のことを指します。(指すらしい


ざっくり簡単に言うと、この作品ではこうだよね、ああだよね。という線引き。
その物語にとってふさわしいかどうかの基準となるもの。


これを上手く使うことで作品はより面白くなるはずだ。


例えば命の扱いについて。

魔法のない現実の物語では、人は死んだら生き返らないため、生き返ることはおかしい。

逆に魔法のある世界では、人は蘇生魔法で生き返るため、生き返ることが不自然にならない。


この設定は作品の死生観に関わる。


例えば戦記物で自爆特攻した兵士がいるとしよう。


現実の話であれば号泣シーンである。

その兵士は死んでしまった。生き返ることはない。

命を戦争で消費することの悲しみが読者を襲うだろう。


逆にこれが蘇生魔法のある物語の場合、人を蘇生できるため、自爆特攻=キャラクターの退場とはならないわけだ。

兵士は後に復活して酒でも飲んでいることだろう。
この作品では命の扱いが軽くなるのだ。


では、ここであえてリアリティラインに反してみよう。


現実を舞台にした作品で死んだはずの人が帰ってきた。

まあ定番ではあるのだが、これがなぜ面白いのかというと作品のリアリティラインに反しているからだ。人が死んだら生き返らない世界で人が生き返ると、当然そこにはなぜ?という疑問がわく。そこに付随してストーリーを展開することで読者を物語に惹きつけることができる。


逆に人が蘇生魔法で生き返る作品で、急に蘇生ができなくなったとしたら。

なぜ、今までは蘇生できていたのに。

戦いの後に楽しく酒を飲むはずの兵士は死んだままだ。

こういった使い方もできる。


この考えを利用しているのがいわゆるデスゲーム系というジャンルだ。


ソードアートオンラインを例にすればわかりやすい。

ゲームで死ぬと特定位置にリスポーンするというのがゲームの設定であり、これがリアリティラインである。

しかし急に、ゲームで死ぬと現実でも死ぬと伝えられるわけだ。

これは面白い。



リアリティラインを上手く使えば面白い作品が作れる。

だが注意してほしいこともある。


物語のリアリティラインを逆手に取る行為は諸刃の剣であるということだ。


作者は読者に対して、物語の現実観に反した事象に対して、納得できる説明をする必要がある。

これができなかった場合、読者は作品を読むことに抵抗を覚え、冷めてしまうことだろう。



例えばジャンプの人気漫画であるNARUTO。

ハマーはこの作品が大好きなのだが、どうにも受け入れられない術が存在する。

それは穢土転生という術。

これは読者ごとに許容できる線引きが違うため自分が受け入れらないというだけなのだが。

確かにかつて死んだ仲間と対峙することがエモいという考えは理解できるが、その術以外の部分では命が重い作品と読み取っていたハマーは冷めてしまったのである。


しかし言ってしまえば。


このような現象も起こり得るわけだが、その他の読者が納得できていればいい。


大多数の読者が納得できていればいいのだ。


そもそも全ての読者を納得させるのは不可能なのだから。


一定の納得を得られると考えたならば、使うのは間違っていない。


しかし細心の注意は必要になることを覚えていてほしい。



さて、今回はリアリティラインの話をしました。

大事なのはしっかりとした物語の方向性、その説明、読者を没入させ納得させるか。


上記の点を守れば、リアリティラインを上手く使えることだろう。



ではでは。

今日はこの辺で。

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