こんばんは。Nihaです。暑中見舞いも込めて、此処に一筆以上となる想いを書かせて頂こうかなと思います。果たして、幾人が読んでいてくれているのか、誰も見てはくれてはいないのではないだろうか、などの胸中に不安はございますが今宵は其れ等など関係無しに書かせて頂きまして、何時の日か温かいお目で通してくれれば幸いです。
下記、自己満足でなる事であろう話になってしまう事を申し訳なく思います。そして面白くも無いです。
――そもそもです。私が何故小説なんてものを書くのか? “私が書く一番の理由”は、なりたかった私になる為です。果たせなかった思いを、諦めてしまった夢を、せめて小説(妄想)の世界では果たす為に書いていると思います。昔から本が好きなのも理由の一つにもなりますが“根幹”は其処にあります。
現在執筆中の『なつにふるゆき』ですが、そのほとんどが私の実体験を元に書いています。いや、少し嘘をつきました。ほとんどは嘘、半分くらいは創作ですね。ですが登場人物の名前等は前にも言った通り、実在の友人の名前です。(多少もじってます)
『なつにふるゆき』に、一人の登場人物がいます。作中の名前は「泉広洋」。勿論、モデルとなる人がいます。私の中学バスケ部の顧問の先生であった人です。其の先生は、当時の私達からしたら唯の暴力教師でした。ですが、バスケットだけは大好きな先生でもありました。(未経験なのに。ここ重要)
作中の話でもありましたが、泉先生は私にこう言いました。そして其の言葉は、実際にクソガキであった私に仰られた言葉でもあります。『立派な大人になれ』。そしてもう一つ。『後悔だけはするな、親を大切にしろ』
数えるのが馬鹿らしくなる程殴られ、骨が軋む程に投げ飛ばされ、鼓膜が破れる程の怒声を上げられながらも、先生だけが唯一、あの時の私達を見放す事は無かった。其処には確かに先生の愛があったのです。どうしようも無い私達をどうにかしたい先生の愛が其処にはあったのです。
ですが、私が先生の愛に気付いたのは大分先の事でありました。当時の私はそれすらも気付かず、ただただ、憎んでおりました。(可憐な女子達の目の前で木端微塵にやられたからもある)
やがて数年が経ち、先生の愛にやっと気付き、あの日の先生の言葉に感謝の思いを伝えようと思った頃。先生はこの世にはいませんでした。私が聞いた時、先生は既に末期癌でした。
お通夜で見た先生の遺影はいつもの怖いあの顔。片隅で泣く先生の子供。かなり大きくなっている(そして美人姉妹)。私は泣いた。どう仕様も無いくらいに泣いてしまいました。
私はこの時、人生で初めての“後悔”をしました。先生にもっと早く会いに行けば良かったという思いと、あの真夏の午後の日(最後の試合の前日)……親への感謝の気持ちをご教示下さった時の先生の言葉。何より、後悔するなと言われた本人に愛の感謝を伝えれなかった事を。自分の中で何回も何度も反芻しては、幾万回も後悔しました。きっと今も後悔をしています。以上が私と先生との思い出です。
私はもう後悔をしたくない。だからこそ、私は何時だって思い出すのです。先生に言われたあの日の言葉を。『後悔だけはするな、親は大切にしろ』『立派な大人になれ』
やってみせましょう、成ってみせましょう、僕はもうNBAには行けないけれども、立派な大人くらいにはなってやりますとも。それ以上になりますとも。だからどうか、もう二度と後悔しない決意を僕にお与えください。
『轍』と言う言葉が、決して過ちを繰り返さない為の言葉では無いと私は思う。『轍』があるからこそ、私達の目の前には道はあるのだから。それを自覚すべきだ。誰もが先駆者に成れる訳は無いのだから。私はそう思います。