「ふざけて」と「あなどって」は同義語であるという言語圏で育った私は、三閉免疫と亜種白路の関係を「亜種白路がふざけて」と表現してしまいます。同じ日本語であっても地域によって言葉のニュアンスは大なり小なり異なることを地方出身者の方なら経験がおありかと思います。
この物語全体はこの地上の歴史的事件をシンメトリーの世界から見ています。合わせ鏡というと物事が反対になってしまいますから、合わせ鏡の世界とは言えませんし、異世界というと事実と異なってしまいすから私はあえてシンメトリーの世界と呼ぶことにしました。
6月になり情勢は大きく変化していると言われます。
アメリカ空軍士官予備学校の校長は掲示板に差別的書き込みが発見された時、生徒を集めてこう演説しました。「正しい反応をすべきだ」「相手を尊重できないのなら出ていけ」。
権利侵害には正しい反応を、すなわち尊重されなかったときには怒りを持って抗議すべきなのです。怒りは悪ではありません。防衛に関して言えば武力は怒りを表しているとも言えますし、その怒りがなければ自分も家族も守ることはできません。暴力が何を守ったのか、暴力の背後にあるひとりひとりの感情を見過ごしてしまった歴史がこうして報いとなり、6月の情勢変化につながっているのだと思います。
ひとりひとりが自分の人生、家族の歴史を見返す時が来ました。正しい反応によって人生は左右される。真剣に生きている私たちは正しい反応を好みます。