日曜日はセオの日です。だから、記念すべき今年の9.11が月曜日でよかったと思います。
2001年、ニューヨークで起きた同時多発テロ。日本時間はたしか夜の9時ごろだった気がします、もしかしたら11時だったかもしれません。私はまだ人質に取られていることも知らず、両親が養父母であるとも知らず、また、その養父が俳優であったことも知らず、そのニュースを養父と共有してはさまざまなことに考えを巡らせていました。イスラム教徒のジハードは21世紀の幕開けと共に多発していきました。聖戦をはじめたイスラム教徒はその後多くの差別に見舞われました。無差別テロを起こしたイスラム教徒と同じ宗教信仰であったというだけでこの23年間、無差別に差別を受けてきたイスラム教徒がいたことは、第二次世界大戦のユダヤ人のホロコーストや今般のロシア人差別とも同じ視点を持っていることに私たちは気づくべきでしょう。
セオとスチュワートは私と違って自分の両親のもとで幼少期を過ごしたために、私とは違い落ち着いています。大抵のことはさらっと受け流すことができます。
養父が私に与えた影響から私はセオとのほうが話が合います。でもスチュワートといるほうがドキドキします。スチュワートとのほうが血の濃さが薄いからではないかと推測しています。
セオとスチュワートは仲が良いです。互いの立場をよく理解しているので、互いに明日の太陽について話すこともあるそうですし、明後日の月についても話すことがあるそうです。男同士ですから私とよりも気楽にいられるらしく、ちょっとだけふたりに嫉妬してしまうこともあります。
そうそう、余談ですが、盗まれた自転車のスペアキーをようやく探し出すことができました。自転車がある暮らしはとても快適です。スペアキーは同じ鍵穴をしています。似て非なるものでは鍵は開きません。私の接触障害も似て非なる何者かでは絶対に開けられないのだとビルは勇気づけてくれます。病状は一進一退を繰り返しています。今は基実くんや帝都が忙しければセオやスチュワートが一緒にいてくれます。本国から友達を呼び私を合わせたいと本音を伝えてくれましたので、私は大歓迎だと大喜びしたのですが、何せシートの数が決まっているそうで、なかなか入国が難しいのだとか。だから私はこう提案しました、「シートは互いに譲り合えばいいと思う。そして力を合わせてシートの数を確保すればいいと思う」。ふたりはそんな私の真面目な意見に「かわいいなあ」と言ってすぐさま手配を始めてくれました。9月11日は2001年以来ポジティブな意味を持つことができそうです。