今書いてる長編も、ようやくラストバトル開始(の直前)まで書けたっ!(まだ載せてはいない)
次に書く長編は安倍晴明を題材にする予定! 今は現行作品のラストバトルをゆっくり考えつつ(これはこれで悩んではいる)、晴明とか平安時代について調べ中。
調べていくと、他の歴史的事件とかアイテムとも関連づけられそうで面白い……みんな大好き「草薙の剣」とかね! ……ものすごい無理やりギリギリにこじつけることになりますが。
それにしても資料読むのも図書館から借りた本をいっぱいコピーするのも疲れたぜ! こんなときは遠出したいな~……そう、安倍晴明の生誕地に現地取材にね!
――陰陽師・安倍晴明。ご存知のとおり、讃岐の人である。
その生誕地には諸説あり、全国各地に生誕地との伝承を持つ土地がある。が、特に有力とされる候補が三つ。摂津国(大阪府)阿倍野、常陸国(茨城県)猫島、そして讃岐国(香川県)井原庄あるいは由佐である。
まず茨城県猫島であるが、ここを生誕地とする根拠は同地の高松家に伝わる古文書『晴明伝記』である。同書は《高松家の先祖と伝わる安倍晴明について》の由緒を語るものである。また、同家には晴明ゆかりの塚などが存在する。
続いて大阪府阿倍野。生誕地候補としては最も有名と言っていいだろう。こちらの根拠は安倍晴明神社に伝わる社伝。それによれば《晴明が安倍氏を出自として阿倍野に生まれた》、また《晴明の死後、上皇がその生誕地に晴明を祀るよう命じた》、とされている。
他に、大阪での伝承としては《大坂の住吉に住む安倍保名(やすな)が和泉の信太(しのだ)明神に参り、その地にゆかりの狐が変化した女性との間に晴明を授かった》というものもある。
そして香川県。『大日本史料』より『讃岐国大日記』『讃陽簪筆(さんようしんぴつ)録』には《讃岐国香東郡井原庄に安倍晴明が生まれた》《一説には同地の葛原邑の人ともいう》との記録。
また、讃岐国丸亀藩の記録『西讃府志』には《香川郡由佐の人である》との記述。
さらに禅僧・義堂周信の『空華日用工夫略集』においても、晴明が讃岐出身と語られている。
……もうお分かりであろう。茨城説、大阪説はいずれも、その文書的根拠が「自家、自社に伝えるための身内の文書」「一つ」だけ。
一方香川説は「公的な記録を含む」「複数の文書に讃岐出身との記載」。
客観的なエビデンスとしては、香川説に軍配を上げざるをえない。
つけ加えるなら晴明の父親の名は「安倍保名」と一般に知られているが。それは浄瑠璃や物語などで広まった名であり、歴史上(家系図)の記録では「益材」とされている――そう考えれば《大坂の住吉に住む安倍保名》の伝承についても、物語に影響されて創作された伝承、ともとらえ得る。
もちろん、香川説についても細かい出身地について記述にばらつきがある点、比較的後世の記録である点(『讃岐国大日記』は1652年、『西讃府志』は1848年、いずれも江戸時代。『空華日用工夫略集』は室町時代)があるため、決めつけることはできない。
しかしである。個人的にはやはり香川説を推したい。
その理由は「なんか関係なさそうなとこに突然出てくる説だから」である。
……関係なさそうなとこに突然出てくんなら関係ないんでは? と仰りたい気持ちは分かる。
しかし、逆である。
たとえば、茨城説。この地には平安時代初期、宮廷陰陽師が派遣されたとの記録がある。
晴明出身説も、この地に根づいた陰陽師が自らを晴明の子孫と称したのでないか? といった推察もできる。
大阪説、阿倍野。この地名は現地の豪族・阿倍氏(後に安倍氏)に由来するといわれている(諸説あり)。晴明も安倍氏であるが、本流の家柄であるかは不明。
この地で晴明が誕生したとの説にも無理はないが。仮に彼が他の土地で生まれた庶流の出だったとした場合、《安倍氏の箔づけのために同氏ゆかりの土地を彼の出生地ということにした》……という解釈も可能ではないだろうか。
で、香川説。
これはマジで分からない。香南町由佐、冠櫻(かんえい)神社には《晴明が同地に住んでいたときに神主をしていた》という伝承があるが。他にこれといった伝承がない(民話には童子丸――晴明の幼名――の説話もあるが、他の土地の物語と似た内容なので、後で他の場所から伝わったという可能性もある)。
正直、讃岐にとっては「晴明にいてもらう必要なんかどこにもない」のである。
陰陽師や安倍氏といった利害関係も今のところ見られないし、マジカルな伝承が欲しければ讃岐の生んだスーパースター「弘法大師・空海」がいる。……というか、こいつは香川とか四国のどこにでもポンポンと伝承を残し過ぎである。自重しろ。
それはさておき。
「晴明がいてもお互い何の利益もない土地に」「晴明がいたという伝承がある」
……ガチで、ここだったんじゃないかと思う。
というわけで、そのうち冠櫻(かんえい)神社に行ってみたいと思う。
なお、陰陽道の人がなんで神主=神道を? という疑問だが。陰陽道は必ずしも中国から入ってきたわけではなく、「中国の道教ベース」に「密教や修験道(神道系の自然信仰+仏教系の密教)をミックスさせた」「日本独自のもの」。
他の伝承としては《晴明は熊野で修験道の修行をしていた》というものもあるし、彼の子孫が神社や寺に多く参拝していた記録もある(というか、陰陽道は「当時の世界観の中での科学」に近いものであり、宗教的信仰とは重なりつつも違う面が多い)。
よって、晴明の経歴に神道など他宗教の要素が入っていても不自然ではない。
さて、知ってる人は知ってるけど知らない人にとっては衝撃の事実を一つ。
安倍晴明、歴史上に初めて記録が残った際の年齢は「40歳」。しかもそのときは別に陰陽師として有名だったわけでもなく、助手といった立場である。
……我々がイメージする「超クールで目元涼やかな若きイケメン大陰陽師」などいなかったんだよ! それなりの年で別に出世してないオッサンだったんだよあいつ!(有名になるのはむしろその後)
……というわけで理論的に考えまして(眼鏡クイッ)次の長編の内容は「ヤング安倍晴明イン香川」に決定です(眼鏡クイックイッ)。
あくまで理論と計算に基づく決定であり他意はないのである。本当である(眼鏡クイックイックイッ)。