「ひ、引っ張らないでくれ……むしられる」
リンム・ゼロガードは悲鳴を上げた。
今は、五歳に幼児退行した法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルを背に乗せて、|ぱこぱこ《・・・・》と室内を四つん這いで進んでいる最中だ。
何せ、侯爵家の貴族子女でまだ五歳――いやはや、わがまま放題だ。
もっとも、騎手となったティナはというと、馬の手綱代わりにリンムの少なくなった髪の毛を容赦なく引いてご機嫌ではある。
ただ、肝心の手綱はさほど根強くなく……すぐにすぽんっと抜けてしまう。このままではリンムの頭頂部がささやかな草原から不毛な砂漠になるのも時間の問題だろう……ちょっとした危機だ。
それはさておき、「うーん」と顎に片手をやって、室内を行ったり来たりしていた神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトはついに決断を下した。
「義父《とう》さん……やはり、司祭のマリア様に怒られに行くしかありません」
スーシーもまた悲壮な声音だった。
当然だ。護衛を務める神聖騎士団長と守護騎士が付いていながら、よりにもよって状態異常を付与してしまった。多分にティナの自業自得ではあるが……そうはいっても、要人を守るべき騎士としては失格だ。
一応、さっきからダークエルフの錬成士チャルがリンム家の調合室で回復ポーションを精製しているものの、なかなか上手くいかないらしい。そのチャル曰く、
「どうやらティナは魔術については素人同然らしく、術式の構築がかなりいい加減だ。これで闇魔術がしっかりと掛かるのだから、膨大な魔力量でもって強引に押し切っているわけで、その分、解除するのに手間がかかる。この調合室に残っている素材では難しいな」
というわけで、チャルには引き続き、街で素材を集めてもらいつつ回復薬作りをお願いした。
それでも、術式がいい加減ということは綻びが必ず出来るはずで、時間経過で解けるだろうとのこと……もっとも、どれだけの時間が必要なのかはチャルでも判断しかねるらしい。
何にしても、リンムも、スーシーも、今日は孤児院で子供たちの相手をする予定だったので、五歳になったティナと一緒に――女司祭マリア・プリエステスに怒られるのを覚悟で向かうしかなかった。
ティナはお姫様抱っこを要求してきたので、リンムは片腕に乗せて、胸もとに抱き上げたわけだが……こうして三人でイナカーンの街の大通りを歩いていると、何だか意外と夫婦みたいだ。スーシーも普段とは違って、なぜかこっぱずかしいのか、ちょっとばかし俯き加減になっている。
「あ、義父さん。その道具屋で子供たちのプレゼントを買っておきたいから、少し待ってもらえる?」
「構わないぞ。俺も子供たちに料理をふるまうから、この後に肉屋に寄りたいしな」
すると、ティナがぴょんとリンムの腕から飛び降りた。
「ここ、どこー?」
「ティナお嬢様、ここは街の道具屋ですよ」
リンムが膝を地に突いて、そんなふうに使用人然として答えるも、
「がたくたばっかあー。つまんない」
ティナは憮然と言った。どうやらセプタオラクル侯爵家時代の幼い記憶はしっかりと残っているらしく――むしろ、小さくなって遠慮がなくなった分だけ、さっきからわがままばかりだ。
リンムのことも、「おうまさん」とか、「はげ」とか、「しよーにん《使用人》のおっさん」とかしか呼ばず、スーシーだって、「ごえい」や「そこの|きし《騎士》」だ。若干、スーシーには敬意を払って……いや、むしろ畏怖しているように見える。
五歳ぐらいの女の子だから仕方のないところかもしれない……
「さあ、お嬢様。こんな玩具はどうだい? 何か欲しい物があったら、おじさんが買ってあげるぞ」
それでも、リンムは辛抱強く付き合ってあげた。
もともと子供のわがままには慣れている。とはいえ、さすがに貴族子女の目利きは厳しかったようで、
「いらない!」
ぷい、と。
ティナにはそっぽを向かれてしまった。
これにはリンムも「あ、はは」と片頬をぽりぽり掻くしかなかった。はてさて、どうやって機嫌を良くすればいいものか……意外に大人になったティナは楽だったのだなと今さらになって気づいた次第だ。
すると、そんなタイミングだった――
「おや? リンムじゃねえか」
と、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーが道具屋に入って来たのだ。
「ゲスデスか。いったい、どうしたんだ?」
「いやあ、今日はクリスマスだろ。世話になっている宿屋を切り盛りしている夫婦の子供《ガキ》にちょっとした贈り物でもしようと思ってよ」
もとは盗賊とはいえ、さすがは頭領か。ゲスデスは照れ隠しで「へへ」と鼻の下を擦った。
「それより、リンムも贈り物か? そういや、お前は孤児院の子供たちの相手をしていたよな……何なら、俺の為に子供用の贈り物を見繕ってくれよ」
「ああ、構わないぞ。この道具屋の店主は手先が器用で、仕込み道具が上手いんだ。領都からお土産に買いに来る者たちがいるほどでな。子供たちには喜ばれる」
「へえ。そりゃあいいな。しかも……値段も手ごろだな。こりゃあ、助かるぜ」
「だろう?」
リンムがそんなふうにゲスデスの相手をしているときだ。買い物を済ませたスーシーが声を掛けてきた。
「あら、ゲスデスじゃない?」
「おう。団長さんか。あんたも贈り物かい?」
「ええ。私はこの街の孤児院の出身なのよ。子供たちにたくさん……って、あら? 義父さん? 肝心のティナは?」
「え? ……あれ? どこに行った?」
道具屋の棚下にでも隠れているのかと思ったら、ティナはいつの間にか、店からいなくなっていた。
「マズいな。俺の失態だ。冒険者ギルドに依頼でも頼むか?」
「いえ、私もいたのだから二人のミスよ。やれやれ、今日はこんなのばかりね。それより、神聖騎士団も動かしましょう。さすがに今の幼くなった姿を見て、ティナ本人だとは分からないはずだから、聖女誘拐の線はないと思うけど……万が一ということもあるわ」
「そうだな。それじゃあ、俺は早速、ギルドに行ってくる」
と、リンムが動くよりも早く、ゲスデスが声を掛けてくる。
「待てよ、リンム。人探しか?」
リンムは「ああ」と答えて、簡単に事情を話した。
「なるほど。あの聖女のお嬢ちゃんが子供にねえ……だったら、俺が探してやるよ」
「いいのか?」
「以前に助けてもらった借りもあるし、今日も道具屋で良い情報をもらったばかりだからな。せいぜい俺からのクリスマスプレゼントだと思ってくれ」
「助かるよ、ゲスデス」
そんなふうにしてリンムやスーシーといったん別れて、ゲスデスは道具屋から出た。
早速、盗賊の持つ斥候寄りのスキルで子供の足跡をたどると、すぐにやたらとその跡が溜まっている箇所を見つけた。そこには一人の老婆が椅子に座っていた――宿屋の元女将さんだ。
「なあ、婆さん。さっきまでここにこんくらいの女の子がいなかったか?」
ゲスデスが手振りでティナの身長を示すと、元女将さんは「いたよ」と答える。
「何だか、やけに偉ぶったお嬢ちゃんだったね」
「何かあったのか?」
「あたしが腰を曲げて歩いていたら、肩をわざわざ貸してくれて、一緒にこの椅子まで導いてくれたのさ」
「へえ。そりゃあ殊勝なこった」
「何でも、|貴族の義務《ノブリスオブリージュ》がどうこうと言ってふんぞり返っていたよ。本人はよく分かっていないみたいだったけどね」
「その子はどっちに行った?」
「あっちの外れの鍛冶屋に入っていったよ。もしかしてあんたの子かい?」
ゲスデスは「いいや」と頭を横に振って礼を伝えてから、今度は鍛冶屋に入った。
たしかにこの店内にも足跡はたくさん残っていたが、すでにこの場所から出た後のようだ。とはいえ、ゲスデスは情報収集の為に若い店員に尋ねた――鍛冶屋のカージだ。
「なあ、兄ちゃん。さっきまでここにこんくらいの女の子がいなかったか?」
「いましたよ。幾つかサンプルの鉄剣を手に持って、振り回していました」
「……鉄剣を? 振り回した?」
ゲスデスがそのサンプル品を見るも、大人用の片手剣だ。
五歳の子供の身の丈ほどあるものばかりで、さすがに「振り回した」は言い過ぎだろうとゲスデスは訝しんたものの、
「もしかして……お子さんですか? 僕はしがない鍛冶士ですが……いやあ、剣才のあるお子さんで凄いですね」
「剣の才能なんて分かるのか?」
「はい。僕はこの街の孤児院出身なんですよ。だから、子供たちの才能はたくさん見てきました。あの子だったら優秀な剣士になれますよ。それこそ、この街出身の神聖騎士団長スーシー・フォーサイトみたいになれるかもしれない」
「あ、はは……そうかい。本人に伝えておくよ。それより、その子はどこに行くとか、何しに行くとか、何か言っていなかったか?」
「たしか……とある女騎士を倒す為に修行をすると言ってましたね」
「修行だあ?」
ゲスデスは肩をすくめつつも、礼を言って外に出た。
さらに足跡を慎重にたどっていくと、今度は冒険者ギルドにたどり着いた。直後、ばたん、と。入口の両開き扉が開かれる。
「おお! ゲスデスじゃないか?」
「リンムか? もしや見つかったか?」
「いや、ティナとはすれ違いになったようだ。一足遅かった。途中で鍛冶屋の親父に声を掛けられて、少しだけ話し込んだのがいけなかった」
「ところで……なぜフンはそこの床で伸びているんだ?」
ゲスデスはギルド内で大の字になっているフン・ゴールデンフィッシュを見つけた。
Dランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツがいかにも面倒見きれないとばかりに、「おい、しっかりしろよ」と頬をぱんぱんと叩いている。
そんな室内の様子にゲスデスは首を傾げたわけだが、リンムがすぐに説明してくれた。
「どうやら、ティナがぐーでフンを殴ったらしい」
「はあ?」
「何でもティナはここに道場破りとやらに来たそうだ。フンが見つけて、やれやれっスね、と相手をしてやったらこの様《ざま》だ」
「なるほどな。小さくなっていても格闘センスは無駄に抜群ってことか」
ゲスデスは「はあ」とため息をついた。本当に聖女にするには惜しい人物だ。
それはさておき、フンが起きたらスグデスと一緒になって捜索に協力してくれるとのことで、ゲスデスはいったんリンムと合流して、再度、足跡をたどった。その途中でゲスデスがリンムにこぼす。
「騎士団の詰め所にでも行ってくれたら楽になるんだがな」
「逆に、街をこっそりと抜け出して、『初心者の森』にでも入られたら厄介だ」
「さすがに衛士が止めるだろ?」
「相手はあのティナだぞ?」
「…………」
たしかに衛士までぐーでのされている姿をゲスデスも容易に想像出来た。
何はともあれ、ティナの足跡をたどっていたら、街の外れに続いていた。一緒にいたリンムは「もしや?」と眉をひそめている。
実際に、その足跡は孤児院に入っていった……
「見つけた!」
リンムが声を上げるも――
当のティナはというと、「えんえーん」と泣いていた。
どうやら棒切れ一つで孤児院の男の子たちを全員制圧したことで、女司祭マリアからげんこつを喰らったらしい。もっとも、この喧嘩は男の子と女の子の仲裁をティナが買って出て、かえってエスカレートしてしまった結果だそうだ。
「やれやれ……よかった。そうだ、ゲスデスよ。すまないのだが、神聖騎士団の詰め所に行って、スーシーに伝えておいてくれないか?」
「構わんよ。ついでに冒険者ギルドにも寄ってくるわ」
「今日は本当に助かったよ。ありがとう」
「さっきも言ったろう。俺からのプレゼントだ。メリークリスマス」
「ああ、メリークリスマス。ハッピーホリデイ」
その後、スーシーも合流したわけだが、当然のことながらティナをこんな姿にしたとあって、リンムも、スーシーも、女司祭マリアからこってりと絞られた。
結局のところ、ティナの幼児退行は一晩経っても治らずに、孤児院の子供たちと意外に仲良く過ごして、夜は「きしのひと」ではなく、なぜか「しよーにん」のベッドに甘えて入ってきて、朝にはぼふんっと大きくなって、
「さあ、おじ様……ぱこぱこですわよ!」
と、リンムを襲い掛けたところで、こちらも女司祭マリアにげんこつをもらった。
こうしてリンムも、スーシーも、ティナも、もちろん孤児院の子供たちにとっても楽しい一日を過ごせたわけだが……リンムはふと、「何か忘れているような気がするんだが?」と首を傾げた。
後日、リンム家の調合室で『幼児退行』は治せないものの、体の一部の成長を促すポーションを精製したことで、ふっさふさのわかめみたいに増える毛生え薬の製薬に成功したダークエルフの錬成士チャルはというと――
一晩も放置したリンムに不満を持って、その薬をなかなか譲ってくれなかったらしい。
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次回の『孤児院の大掃除』は12月30日に投稿予定です。よろしくお願いいたします。