本日は文化の日ということで、音楽にまつわる非限定SSとなります。なお、『トマト畑』の本編でも文化の日にちなんだ連作短編の序盤を挙げています。めちゃすごい!(前回同様に自画自賛)
それはともかく、時系列としては第二章「渦中の街 イナカーン」に当たります。まだ第一章をお読みでない方はご注意くださいませ。
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その日、リンム・ゼロガードはイナカーンの街の広場で舞台設営の手伝いをしていた。
王国では文化週間と名付けられて、王都で盛大なお祭りが行われる最中だが、このイナカーン領ではつい先日に収穫祭《ハロウィン》を終えたばかりなので、今回はこぢんまりとした催しだけが開かれる。
そもそも片田舎とあって、誇れるような文化があまりない。絵画や彫刻は一切見ないし、楽器だって笛と太鼓くらいに限られてくる。弦楽器や管楽器を持っている裕福な家など、残念ながらイナカーンの街にはない。
だから、舞台上で行われるのは、街の人々によるささやかな演劇と、あとは地元出身の吟遊詩人による演奏、それに合わせた皆の歌唱くらいだ――
「さて、今年の舞台はとりあえず……こんなものでいいかな」
リンムは額の汗を拭って、「ふう」と息をついた。
実のところ、リンムには特技があった。それは独唱《アカペラ》だ。いつも『初心者の森』に個人《ソロ》で入っているものだから、野獣に襲われないようにと歌を口ずさんでいたら知らずのうちに上手くなっていたのだ。
かつて一世風靡した遍歴の吟遊詩人ウタウノスキーが森林浴をしていた際に、リンムの歌声をたまたま耳にして、「ここで誰にも見つけてもらうことなく死ぬかもしれない悲哀がこもった、何とも重厚かつクリーミーなまろやかさ」と評したのは有名だ。
さすがに年をとって、酒焼けしたハスキーボイスに変じてしまったものの、今でもイナカーンの街で屈指の歌声を誇って、街を代表してトリで舞台に立つ予定になっている。
すると、そんなリンムのもとに甲斐甲斐《かいがい》しく、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルがやって来た。
「おーじ様?」
やけに甘い猫撫で声で、背後から声を掛けてきたものだから、リンムはやれやれと振り返った。
「おや? ティナじゃないか。こんにちは。いやあ、まだ昼だというのに寒くなってきたものだね」
「はい、ご機嫌ようですわ。たしかに寒くなる一方の季節ですが……私《わたくし》のハートは鋳造炉のようにマックス熱いままですわよ」
「そ、そうか。それは何よりだ」
リンムはそう応じてから、わずかに首を傾げた。護衛も付けずにティナが一人でいたからだ。
「スーシーはいったいどうしたのだね?」
「まだ孤児院におりますわ。子供たちの合唱の指導をしている最中です」
「じゃあ、まさか……ティナは孤児院からここまで一人きりで来たのかね?」
「安心してください。途中の運良く、冒険者ギルドの前でオーラ・コンナーさんに会って、わざわざ付き添ってもらいましたわ」
おかげでティナは機嫌良く、鼻歌混じりでここまでやって来たらしい。
「で、そのオーラは?」
「何でもギルドに忘れ物をしたと、青ざめた顔をして戻っていきました」
「そうだったのか」
「本当に残念ですわ。私《わたくし》の歌声を最後まで聞けなかっただなんて……」
「え?」
「実は、子供たちに混じって歌うのは練習の邪魔だからとスーシーに言われて……だったらおじ様に聞いてもらおうと、ここまで馳せ参じた次第ですわ。どうやら舞台も出来上がったようですね」
リンムは「ふむん」と、顎に片手をやった。
そういえば、ティナの歌唱は一度も聞いたことがなかった。とはいえ、法術の祝詞をあれだけ見事に謡ってのけるのだから、きっと安らかな天使みたいな歌声に違いない。
さっきから舞台袖でリハーサルをしていた吟遊詩人の男性がティナを意識してちらちらと見ているし、これはもしかしたら――今回の催しの目玉になるやもしれないなと、リンムは好敵手《ライバル》の登場に胸が熱くなった。
が。
「いたいた! 見つけたわ。どこをほっつき歩いていたかと思ったら、こんなところに!」
神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトが顔をしかめつつやって来た。
たしかにリンムもティナが護衛を付けずにいたことに不安を感じたので、スーシーの怒りももっともだと思った。とはいえ、ティナはつんと下唇を突き出して抗議する。
「だって、スーシーが私を邪険に扱うから……」
「仕方ないじゃない。子供たちの練習を見てあげていたのよ。貴女の面倒まで見きれないわ」
「だからといって、私に全く歌わせないのはひどいですわ」
「そ、それは……ええと、まあ、色々とね」
なぜかスーシーが言葉を濁したので、リンムは眉をひそめたものの、
「だったら、この舞台で練習していくかい?」
そう誘ってあげた。舞台上ならば、リンムやスーシーだって護衛しやすい。
すると、そんなタイミングで吟遊詩人の男性が立ち上がった。もしや伴走でもしてくれるのかなと、リンムが期待していたら……なぜかその男性は広場から遠ざかっていった。
お腹をさする仕草をしていたから急な腹痛かなと、リンムもちょっとばかし気になったものの、
「きゃあ。うれしい! おじ様、大好き!」
ティナのはしゃっぎぷりに、リンムは「まあ、いいか」と息をついた。
同時に、「おや? もしかして聖女様が歌ってくださるのかね」と、設営の手伝いをしていた街の人々が集まってくる。
ティナはすでに壇上に上がって、「ん、んん」と声の調子を合わせ始めた。ところが、スーシーはというと、鬼気迫る表情でリンムに目配せしてくる――
「義父《とう》さん……住民の避難をすぐに始めてちょうだい」
「へ?」
「ここは私が聖盾で何とか守りきるわ。なるべく街に被害が出ないように集中したいから……どうか避難の方はお願い!」
「な、な、何をいきなり言っているのだね?」
「くるわ! 気をつけて!」
「ええっ?」
リンムの惑いと同時に――
この世の全てを呪ったかのようなデスボイスが広場全体、いやこの世界をまさに襲った。
「こ、こ、こ、これは――?」
リンムが耳を塞ぎつつ呻くと、地響きさながらの歌声《デスボイス》を何とか聖盾で捌きつつ、スーシーが大声で応じた。
「ティナの歌声は災害そのものよ! 法国の神学校では何人もの聖職者が精神を蝕まれ、死にかけた信徒たちだって出たわ! 第一級人的災害として、奈落同様にその口を封印すべきかどうかと、最高法院でも議論されたレベルよ!」
「…………」
リンムは遠い目になった。これでは独唱ならぬ、まさに毒《・》唱だ。
というか、ここまできたら最早、立派な攻撃手段ではなかろうか? むしろ、魔物や魔族に対して有効な気さえしてくるから不思議なものだ。
なるほど。中央通りで口ずさんでいる横で元Aランク冒険者たるオーラが青ざめて逃げていったわけだ。さらに言えば、吟遊詩人もか。各地を回って様々な情報を仕入れているからこそ、その噂を耳にしていたに違いない。
何にせよ、スーシーがなぜティナを邪険に扱っていたのか、リンムも身に沁みて理解出来たので、街の人々の避難を優先させた。それでも低振動による呻りは舞台にひびを入れ、広場の舗装までめくれて、ちょっとした大災害の後みたいになった……
「――――っ♪」
本人は全くそんな被害に気づいていないのだから不思議だ。
結局のところ、その日、領都から急いで駆けつけてきた騎士たちによる災害救助の手伝いまでこなしたリンムはくたくたになった。一方で、舞台上にはリサイタルを終えて、満足したティナが突っ立っていたらしい。
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いわゆるジャイアンリサイタルですね。次のSSはサンクスギビングか、勤労感謝の日あたりをネタにしたいと考えています。あと、最近ティナの酷さが目立つので、そろそろ聖女らしい淑やかなエピソードでも描きたいなと思っています。