新選組×魂喰の歴史ファンタジー「虎と貂」を連載中。
せっかくなので、新選組について私の解釈や見解などお話ししていけたらと思います。
※超絶素人見解ですので、薄い目で、遠くを見るように楽しんでいただけたら幸いです。
今回のテーマは「芹沢鴨という男」です。
ああ、このテーマは第一章が終わったころに合わせて書こうと思っておりましたが
本編執筆やら別作が忙しくなって今頃になってしましました。
さて、芹沢鴨さんといえば、新選組の物語では生粋の悪役を買って出てくれておりますが、私としてはどうも芹沢さん=悪とは結び付かない。
いや、たしかに行き過ぎた所業や乱暴なふるまい、人も簡単に斬ってしまうその人柄は悪でもあります。
しかしその派手な行動に隠されてしまった心はどうなのかと、今回「虎と貂」を書くにあたり考えました。
そして芹沢鴨とは「手段を知らなかった悲しい人」なのではないかと、そんな一面を私の中で作りました。
(本当のことは分からないので、あえて「作った」と表現します)
芹沢鴨といえば、新選組の中で数少ない武家出身者です。当時の武家育ちというものは他の家とは教育が違っていたと思うのです。
芹沢で言えば、水戸藩士であり、水戸藩といえば勤王。尊王攘夷の先駆けなわけです。
それがどうして幕府側が打ち立てた浪士組に志願したのか、
浪士組を仕切っていた清川八郎が、「実は幕府サイドではなく、尊王のために浪士をつのったんだぜ!今からは朝廷のために働けお前ら!」
と言ったにもかかわらず、近藤勇らとともに幕府側につくことを決めたのか。そのあたりは妄想するしかない謎ですが。
ただ名前をあげたかった、という考え片もあります。しかし芹沢には強く尊王思想があったと私は思っております。
それは芹沢が詠んだ歌にも表れてはいないでしょうか。
「雪霜に ほどよく色のさきがけて 散りても後に 匂う梅が香」
これは新選組に入るずっと前、不法者として投獄されていたころ。死を予感した時に詠んだ歌だそうです。
(しかも血文字で!という話も)
散ったあとも匂う梅の香り。水戸藩士としての尊王運動が死と共に断たれたあとも、その思いは残る。
そんな強い信念を感じました。
そして、こんな綺麗な歌が詠める人って本当に乱暴なだけの人でしょうか?
芹沢が住んでいた場所は梅の花がとても綺麗に囲い咲いていたそうです。
そして最期を共にした愛人も「お梅」という名前でしたね。
育った場所で見ていた梅を辞世の句で詠む。梅という女性をそばに置いておく。
やはり私はこの人を嫌いにはなれませんでした。
また、思想を通すにはお金が必要なことも、過去の尊王運動で重々思い知っていたと考えます。
新選組がやるべきことを貫き通すにはそれなりのお金が必要だった。
資金集めは芹沢が必死にやったことであり、近藤がやらなかったことです。
(新選組結成後、ややあって近藤も強引な資金調達をしていますが、誰の影響か)
確かにやり方はひどかった。しかしどんなことをしても思いを貫くという心もあったのではないでしょうか。
やり方は他にあったでしょう、しかし芹沢にはそれが出来なかった。
乱暴に暴れて壊して、それしか手段を知らなかった。
もしかしたらそんな人だったのかもしれません。
芹沢は新選組時代、八木邸でよく近所の子供と絵をかいたりして遊んでいたそうです。
私はこのエピソードもとても好きで、芹沢鴨の人物像形成に大きく影響しました。
思想を貫き通すことがなく終わった人生。
あたたかく澄んだ心はあったのかもしれない、しかしうまく行動にのせられなかったもどかしさ。
そんな心を私は感じて、「虎と貂」では芹沢鴨を「未練、無念」として大蛇の化け物に変化(へんげ)させたのかもしれません。
(こういう人の思いを読み取ってしまう狐火も好きです→「第一章十二話 瀟湘夜雨」参照)
最後に。
近藤勇になくて芹沢鴨あったもの、それはカリスマ性、武士としての教養、譲れない思想。
何を悪とし正とするかは、見る方向で変わってくるものです。
芹沢鴨を悪にはしたくなかったというのは、私のエゴであり妄想の域を超えないかもしれません。
ですが、そんな一面もあったのかと、「虎と貂」を通して感じて頂けたら嬉しいです。
史実をリスペクトした上で、妄想、捏造、ファンタジーをのせた(笑)
歴史ファンタジー「虎と貂」
お手に取って頂けたら嬉しいです。
「虎と貂」毎週火金更新
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