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あなたにとって「愛」ってなんですか?

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文学における究極テーマ……それは「愛」。
私はレ・ミゼラブルの信奉者なんですけど、この作品がめっちゃ好きな理由も、作品を通じて「愛」が描かれているからなんです。


皿を盗んだジャン・ヴァルジャンを優しく許す司教様。
娘のために身をぼろぼろにしながらもお金を稼ごうとするファンティーヌ。
人生を捧げてコゼットを育てるジャン・ヴァルジャン。
自分ではなく想い人の恋を成就させようとするエポニーヌ。

……いろんな愛の形があるなあと思うわけです。


そのほかの文学も、「愛」をテーマにしたものは多いですよね?
ロミオとジュリエットしかり。
人魚姫しかり。
星の王子さましかり。
源氏物語だってそうだぞ。



「愛」ってなんだろうな~って考えると、
十人十色の答えが出てくるんじゃないかって思うんです。
みなさんの「愛」の形を教えていただいて、それを創作に生かしたい!という私のわがままを叶えてくださる方を募集します。
お礼にみなさんの作品を読みに行きます。

※注:あいさつ文や作品の紹介文は不要です。あくまで「愛」についてのお考えだけお聞かせください。

あなたにとって「愛」ってなんですか?

48件のコメント

  • 愛とは、「許し」だと思います。
    相手が何を考えていようと、どうあろうと、全てを許し受け入れる……それが愛だと思います。

  • こんな感じでコメントくださいませ!
  • 見返りを求めないもの、と思います
    企画が気になって参加しただけなのでお礼に書いてあった読みに来るは不要です。ではではー
  • 「性欲」に近しいけれども、それ以上に綺麗で繊細なものだと信じています。
  • 自分の書いた作品の中での登場人物たちの行動を思い返すと、愛とは優しさかなと思いました。
  • ただ相手を信じ、寄り添う事かな?と考えています。

    朝斗さんの許しと、流川さんの見返りを求めない、という言葉は私も同意です。
    なので、別の言葉で書かせていただきました。
  • 愛は恋の対義語。
    熱くて激しい気持ちが恋で、あたたかくて穏やかな気持ちが愛。
    自己中心的な気持ちが恋で、相手を思う気持ちが愛。

    ……若い頃、そのように考えていました。
    歳をとってからは、特に愛だの恋だの考えたことはなかったのですが、改めて考えてみても、若い頃の定義から何も変わっていないようです。
    私が書いてきた作品にも、そうした思想が反映されているかもしれません。
  • 一口に答えるのは難しいですが、「愛」とはずっと相手への関心を失わない、相手の不幸やむ不遇を蔑んだりしないことだと思います。
  • こんばんは。
    愛とは、「信頼」だと思います。信じること。
    友情でも、恋人同士でも、上司と部下でも、為政者と国民でも。
    長編ファンタジー作品を書くとき、為政者と国民、王族と臣下の信頼は一番大事にしたいものの一つです。

    話がそれますが、
    レ・ミゼラブル、私も信奉者です。
    愛してやみません。(すみません、マニアです)
    同じ話題で以前もお話しした記憶がありますが、同じものが大好きな方がいらっしゃるのはやはりとても嬉しいです。
  • 相手に求め続けていくものが『恋』なら、逆に与え続けていくものが『愛』かな。
    レ・ミゼラブル、私も大好きです。
  •  私にとって、「愛」とは「ありもしないもの」です。
     心に映った虚像を信じ、思い、そんな数ある虚ろを都合よく切り出し信じ、人はそれを「愛」と呼ぶのだと。そう思っています……。
     だからこそ「愛」は十人十色。虚ろを虚ろとして見てしまう私にとって、愛は色のない「ありもしないもの」です。

     申し訳ありません。
     上手く説明できておりませんね……。
     それを一つの形にした散文『オレは悪魔だぜ』で参加させて頂きますので、無理が無ければ最後までお読み頂ければと思います。
  • 「愛」とは何ぞやと? そうですね。

    僕が思うに不確定で確証のない夢の様なものだと思っています。でもそれでいて美しく見えて、どこか儚く見える。明瞭だけど不明瞭な曖昧なものだと思っています。それ以上でも、それ以下でもないような……。

  • 「愛」についてですね⋯⋯

     「愛」とは、押し付けるものだと思います。(言い方悪いですねすみません)
     色々な人たちが様々な場面で「愛」って使うと思うんですが。一貫して、他人、相手が存在しないと成立していません。もしかしたら、その相手が分からないくらい不明瞭なものかもしれませんが。
     加えて、その他人に対して、何かをしてあげているというのもここの意見を見ていてまた多い考えです。実際私もそう思っていますし否定はしません。

     でもそれって、他人の方は求めていなかったりするんですよね。
     意外と「愛」がきれいすぎてわからなかったりするんですが、それが他人にわたった時、他人が思わぬ苦痛を味わっていたりとかよくあることで、それを見ていて、「人の為」の「愛」って「自己満足」で済んでしまうのかな⋯⋯とか考えたりすることがあります。それならむしろ、与えない方が「愛」だったりするのではないか、とか思ったりはしました。
     またそれ以外にも、見返り以前にそこに「愛」を大義名分とした自分の利益が潜んでいるのではないか、とか、そんな風に複雑に絡んでいてわかりにくいものなのかな、って思ったりもします。

     だから、私はあえて押し付けるもの、と表現しました。
     長く話してしまいすみません。
     
  • 愛ですか、漠然とし過ぎますね〜
    アガペー?ラブ? どちらを示すかで変わると思うのですが。

    アガペーだと
    レ・ミゼラブルの司教様が良い例かと
    好き嫌いではなく人を受け入れ許す、に尽きると思います。

    ラブですと、
    ・一緒にいたい(=好き、程度により恋)
    ・相手を信じる
    ・自分が犠牲になっても守りたい 
    かなぁ。
    そこに依存や狂気が混じっても、上記を満たせるなら愛だと思いまず。
  • 愛とは捧げるもの。献身のために、自分を見てもらうために、愛を捧げる。執着と憧憬が混ざった物。
    例えそこに恋がなくても、愛は成立するでしょう。母のような愛もあります。それは空気のように彼女の周辺に満ちています。安らぎを得られます。
    ふとした時に、愛を感じる。人と人との間にある。使いやすく持ち手側を差し出されるハサミに、端が折られてめくりやすいテープ類、更に
    「お疲れ様でした」の一言。愛だと思う。
  • 愛とは、「生」であり「死」であると考えます。
    愛より人が生まれ、人にとっての生きる糧で、愛のおかげで人は生かされる
    愛のせいで死を選ぶ人がいて、お互いの死をもってでしか叶えられない愛もある
    これらは他者が存在する
    誰かを愛しているから生きる、と言った形もあれば
    自分個人しか存在しない
    自分を愛せないから死ぬ、と言った形もある
    と感じています。

    何だかまとまっていない拙い文章で、申し訳ございません。
  • 愛とは全てを捨ててでもそれを大切に想う気持ちの事だと思います。
  • 私の思う『愛』は、相手の事をちゃんと考える『思いやり』でしょうか。
    皆様色々な答えがあって面白いですね。
  • 愛とは本来、途方もなく大きいもの。何かを必要とすることなく全てを包み込んでしまうもの。だけど私たちがこの身で持って表現できる愛が、そこに到達するのは難しいですよね。だから……自分が出来うる限りの、深く深く想う心、でしょうか。
  • 愛とはこんこんと湧き出る泉のようなもの。対象を想うだけで無限に湧き出る感情であると思います。人や物に対してもそうですが、自然や事象を前にしても湧いてくる不思議なものです。
  • 相手の考え方を尊重し,もしそれが結果として誤りであっても,それを責めることなく,共に悩み,限られた時間で結論を出し,その結論に従い行動し……また誤りを犯すでしょうが,それをそういうものだと苦笑いしながら受け止めつつも,よりよい結果になるように工夫する……ということの繰り返し,それが愛でしょうか.
  • 愛とは狂気と渇望だと思います。
    孤独感とか、焦燥感とか、そういうものが似通ったら、
    お互いを食べ合って飢えや渇きを癒せるものかな……と。
  • 愛とは「繋がるための綱」だと思います。
    家族愛・友愛・性愛・無償の愛など形は様々ですが、繋がり合いたい人との間にあるものを愛と呼ぶのだと思います。相手が綱のもう片方を掴んでくれるかどうかを抜きにしても。個人的には自己犠牲的な無償の愛に美しさを感じます。
  • 愛は「全てをなげうつ」ことだと思います。
    誰かの為にどれだけ己が身を削れるか、です。
  • 命より大切な事
    命より重要なもの

    愛人という言葉が有りますが、これは愛とは思いません。
    決して人に断定するものではなく、命より重い繋がりや行いにこそ、愛はあるものだと思っています。

    正義を愛する行為、人を愛する行為など
    時にその行為は盲目になり、思いもよらぬ悲劇が生まれようとも、そこに愛は存在するのだと思います。
  • 愛は重く、ずっと持っていることはとても苦しいです。信念を貫くことと同じくらい、強い誘惑と身を削るくらいの良心の試練が付随しているかも。
  • 愛とは、
    相手のためにどれだけ自分の要素を犠牲にできるか
    だと思います。

    気持ちであり、時間であり、お金であり。
    どれだけ与えられるか、ですかね。
  • 愛とは、想いだと考えます。
    想い想われる事こそが愛なのだと。
    互いに互いの事を考える事こそ愛なのだと。
  • 愛とは共に寄り添えあえることだと思います。
    辛くても悲しくても、楽しくても嬉しくても、最期には手を取り合って笑い合えることだと思います。
  • 愛とは人が思う以上に深く、重く、健気なものだと思うます。
    どれだけ許せ、どれだけ想いを籠められるのか。共に支え合い、考え合い、想い合う。それが愛なのではと思います。
  • 愛は偽善だと思います。
    究極の偽善なのに傍から見る角度によっては至高の輝きを放ち、実際にそれに救われてしまう人がいる所が不思議で面白いと思います。
  • 自分を愛することができない人は、他人も愛せない気がします。
    そして愛と哀は表裏一体かもしれません。
    無償の愛が尊いというのは言うまでもありません。
  • 愛は、その人にとっての宝物だ、という気持ちで、そういうものを書いてみました。

    自分が気に入る宝物をまだ持っていない、と言う人もいるでしょう。
    私も、自分ではどうなんだろうと思い、文章を書いてみました。

    どんな格好の物でも、ささやかでも、宝物だと思うなら、宝物です。
  • 愛とは、一言ではいえないもの………というと終わってしまいますね。

    私の知っている愛は、許しであり、与えていくものです。そして、相手を想うだけでこみ上げてくるものが、愛だと思っています。

    ただ、人間の愛の怖いところは、踏み間違えると束縛や支配───愛の対象である相手を捕食するようなものに変質していくことでしょうか。

    それを考えると、大切にしたいという気持ちが愛なのかもしれません。
  • 定義のないものだと思います。自分が信じたい愛を信じればいいみたいな。

    愛ゆえに罪すら犯しながら生涯愛することもあれば、盲目的に兄弟を信じることもあれば、頂天なはずの立場を投げうってでもかわいがりたい愛もあったり。何でもいい。
  • 愛とは、人間が世代を超え時代を超えて伝えていくもの。人間を支え活かしていく人間の基盤だと思います。
  • 愛は「遅れて伝わる想い」であると考えています。大切なものは失ってはじめて、その大切さに気づける。

    今「愛している」「愛されている」と感じるそれは、完全な愛たり得ない。
    もっとも純粋な愛の込められた行動・物・感情を知れるのは、それこそ手の届かなくなった後……つまり、失われたものの中にある。
    「愛し・愛されている」という感情は、きっと想像や願望が混ざっている。完全な愛は「愛されていた」という風にしか感じられない。
    だからこそ、人は誰かを亡くしたとき、別れたときに涙を流す。

    ……というのが個人的な見方です(小声)
  • 愛とは「かけがえのないもの」だと思います。
    世界と天秤にかけて、自分の命と天秤にかけて、たとえ全てを失おうとも愛する人の幸せを願う。
    そんな、世界中に存在するどんなものよりも大切で、かけがえのないものなんだと思います。

    神を敵に回しても、
    世界を敵に回しても、
    たった1人の義妹のために拳を握る主人公の物語、是非宜しくお願いします。
  • 愛とは可変の型を持ったものじゃないかな、と思います。お互いの人間性だったり、想いの強さによって変わるんじゃないかな、と思います。
  • 愛には色々なものがあると思います。
    人によって、受け取りたい愛の種類が違うと、付き合いを通して感じました。
    ・言葉を贈るのも愛。
    ・物を贈るのも愛。
    ・触れ合うのも愛。
    ・共に楽しむのも愛。
    などなど。

    私は、パートナーに言葉で好きと伝えるのがもともと得意ではありませんでした。でも、お相手がそれを一番に求めるような場合、愛を与えるのが難しかったですね。
    私にとっての愛は、お互いの違いを認め合い、許し合い、補い合うことができるということだと思います。
  • 水や光や空気のように身近にあるのが当たり前で、そして欠けてしまっては絶対に困るもの――それが「愛」だと考えます。
    人間以外の生物にも愛はあり、無くしてしまえばとても大変なことは同じ。なのに人間だけが愛を複雑にしてしまって、とても損でとても愛しい生物だなあと思っています。

    ……と、ちょっと格好つけた答えになりました笑。私も情熱的な愛やロマンスが大好きですが、愛ってなんだと改めて問われると自分でも驚くほどシンプルな答えになりました。貴重な問いかけをありがとうございます!
  • 最上の愛とは松明であり、高い道を照らし出してくれる――ニーチェ『ツゥラトゥストラ』より

    はい。愛とはひとつの意志だと思います。愛は目的でも理由でもなく、それ自体が独立したひとつの衝動であると考えます。
    火のようなものだと思います。火は多くのことに利用されますが、決して火自体は何かのために存在するのではなく、ひとつの現象としてそこに在るだけです。
    火が人間を温めるように、愛も人間を温めますが、火が人間を温めるためだけに存在しないように、愛もまた、人間を温めるだけには存在しません。
    火が人間を火傷させることがあるように、愛もまた人間を傷つけることがあるでしょう。

    愛を崇拝することは、火を崇拝することに似ています。ツゥラトゥストラ、もといゾロアスター教は、火を崇拝することから、別名拝火教と呼ばれます。

    つまり……愛サイコー!



  •  愛ですか。難しいです。
     最初に浮かんだのは、相手が苦しいときに力になってあげたいと思う気持ち、です。優しさに近い気もします。でも、気持ちだけを愛だと言い切ってもいいのでしょうか。それは違うような気がします。分かりません。難しくって。
     愛とは行動なのかもしれません。相手が苦しいときの行動が愛の本質。SMの女王様の愛(行動)は愛せる状況を作ることに主眼が置かれていると思うとしっくりきます。相手が苦しいときを自作自演しているのですよ。多分。
     最後に、愛とは最も高いところにあるものかもしれません。だって『うえ』の上にありますから。(あいうえお)
     あ あなたのことを愛してます
     い いつも見てます、眺めています
     う 憂うることはありません
     え 選んだのは私ですから
     お おなかが空いたら私をお食べ
  • 愛は見守り、必要な時に手助けすること
    今の私にとっての愛です
  • 初めまして。企画に参加したくコメントさせていただきます。
    色々なコメントがありますね(すごく面白い)

    私にとって愛とは「対等」であってほしいと思います。
    優しさや見守りも含まれるのですが……一言で言うのは難しいですね。
    恋愛だけでなく結婚観も考えると「対等」になることも必要なのかなって私は思います。価値観が全く同じと言う意味ではないのですが……。
    パートナーと対等であることも愛には必要なのかなって、小説書いてて思います。
  • 愛は、認めること、許すこと、受け入れること。
    ではないかと思います。
    人は、一人一人違いますね。同じ考え方を持っている人間など一人もいなくて。心の波長が一致する幸福感と、互いを理解できずにいがみ合う苦しみは必ずワンセットなのだという気がします。
    どうしても分かり合えない問題が目の前に立ち塞がった時も、攻撃し合うのではなく、お互いに相容れない点を認め、許し、受け入れる。
    難しいことですが、こういう苦しい作業を積み重ねる努力をして初めて、容易には壊れない愛が育つのではないかと思います。
  • 存在を許してくれれば愛だと思っています。
    口先だけの「愛してる」もお互いにその関係に依存していれば愛。虚構の愛も愛。無条件に愛し、愛されるなんて純粋な関係だけでなくても、互いの存在を求め合っていれば愛であることには間違いではないんだと思っています。心の中が空っぽであっても。
  • 色々な形の愛がありますが、愛は総じて「なにか、あたたかいもの」であるとおもっています。

    神様のゆるし、お母さんの作ったお味噌汁、恋人の肌と吐息、血が迸るような衝動、焼きたてのあんぱん、など。

    質も量も違うけれど、みんな、あたたかいものかなあ、と思います。
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