『ささ』は、現時点で私の唯一の歴史小説です。私が書くもののほとんどはファンタジー、もしくはファンタジー要素を含んだ現代小説なので、これは異色の作品と呼んでいいと思います。
そして、こんなにも何かにとりつかれたように書いた小説も初めてでした。『ささ』は私に、書くということがこんなにも喜びで、こんなにも生命エネルギーを燃やすことなのだということをはっきりと実感させてくれた、特別な作品です。
『ささ』を書こうと思った一番最初のきっかけは、戦国時代を描いたとある歴史ドラマに登場する織田信長が、超絶にかっこよかったことでした。カリスマ性に溢れ、雄々しく逞しい孤高の武将。それでいてどこか ”漢の色気” も醸し出しており、この人を傍で見つめている女の子がいたら、どんな人生を送るのかなとふと考えたのです。
そのドラマの名前を公表するのは差し控えますが、そんなわけで『ささ』の信長像はそのドラマに登場する信長にかなり似ています。更に、そのドラマに登場した他の歴史以上の人物で私のお気に入りになった人々、いくつかの場面は、ドラマへのささやかなオマージュとしてこっそり小説に取り入れているので、分かる人には分かってしまうかもしれませんね。
歴史小説を書くのは初めてだったので、最初はとにかく下調べをしまくりました。安土城の造り、当時の武将と姫たちの暮らしぶり、その時代の風俗や文化について、図書館にある読みやすそうな本を片っ端から拾い読みし、インターネットの記事にも大いに助けられながら、なんとかささがその中で暮らしていけるだけの余裕のある空間を私の中に作り上げました。
普段の私は、物語を書く前の段階でストーリーをぎっちり創り込む方ではありません。世界観とキャラ設定を細かく決めておき、その世界にキャラを放り込んで、あとは自由に動いて頂くといった感じです。(より具体的な物語の作り方については、また今度じっくり書きたいと思います)ただ、今回は実在の人物が多く登場する上に、歴史が大きく動く瞬間を切り取ったということがあり、まず実際にあった出来事を時系列順に書き出し、それに合わせてストーリーを決めていくという新しい手法をとりました。
調べても調べても本当にきりがないと思ったことは何度もあります。今でも手元に、米粒のような字でぎっしりメモを書き込んだ創作ノートがあります。けれど、これがあれば私のささと信長に会えると思うと、そのわくわくする気持ちが完全に勝っており、膨大な下調べも全く苦になりませんでした。
書き始める準備が整ったと感じられたのは、当時の私にとって重要なとある試験の直前でした。この試験が終わったら書くぞ、と心に百万遍は言い聞かせながら勉強をしていました。
試験最終日のことを、今でもくっきりと覚えています。終了の合図と共に、周囲の一切は消え失せました。家に帰って書くことしか頭にありませんでした。
真っ直ぐ帰宅するなり、私は机に向かい、真っ白なページを開いてペンをとりました。そして、かぶりつくように書き始めました。帰宅したのがお昼過ぎだったと思いますが、そこから夕食の時間までずっと、熱に浮かされたようにひたすら書いていました。幸せで、幸せで、心の中にマグマのように燻っていた物語をようやく解放してあげられたと思いました。
それから約半年間、毎日最低2時間は『ささ』を書きました。書き綴る端から次に書くべき場面や台詞が浮かんできて、ペンが追いつかないくらいでした。完全に、私が頭で考えるより先に物語が動いていました。どうやらとてつもない力のあるものを世に解き放ってしまったと、ぼんやりした頭の隅でようやく理解しました。
本能寺の夜の場面を書いている時、その力は最も強く感じられました。あれは普段の私なら決して書かない、書けない類いの場面です。けれど、他の道は考えられませんでした。ささならきっとこうすると、確信していました。
泣きながら小説を書いたのは生まれて初めてでした。そして私は今でも、あの場面から先を読み返すたび、涙を流しています。
私の作品を全て読んでくれている親友がいます。書き上げた紙の束を彼女に渡しながら、私は息を詰めて彼女の反応を伺っていました。
彼女はとても美しく強く聡明な女性です。人前で滅多に涙を見せません。その彼女が、私の小説を読みながら泣いたのは、それが最初で最後でした。
終章には自分でも満足しています。全てが終わった後の穏やかさと寂しさが漂う、そんな雰囲気が、とても好きです。
歴史小説を書くのは、ファンタジーを書くより大変だったか?その答えは、自分でもよく分かりません。自分の中に、その区別はあまりなかったように思います。
私は、私なりの解釈で、織田信長を描ききってみたかった。ささに会いたかった。ささを、物語の中で存分に生きさせてあげたかった。
歴史小説を書きたいというより、その思いだけで書いていたと思います。
だから、きっと、どうしても会いたい人ができた時、私はまた歴史小説に挑戦するのかもしれないなあと、思うのです。