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百年と一日

 初めて読んだときまず思ったのは、一人称なのに本来主人公がその場にいなければ書けないはずの五感表現を読者に違和感を覚えさせないように段階を踏んでスムーズに書くという芸当をしている、というところでしたね。


 人伝に聞いた話を語り手がその場にいたかのように錯覚させているのですが、
>>興奮した声が狭い室内に響いた。そこで妻は、やっと笑った。
 なんていきなし書いたら違和感ばりばりだと思うんですけど、あくまでも祖母の話を聞いているというていではじまっていつのまにかカメラがぐっとその話の風景に読者の意識を向けさせちゃうことで、うまく読者の中でうまく視点の切り替えができているんでしょうね。
 これは作者の企図だと思います。
 ちょうど映画とかのモノローグで昔の話をするばあちゃんが「あのときはそう、こんなかんじだった」というフリで場面が切り替わるみたいな感じですかね。

 こういう何食わぬ顔で一人称で本来主人公である語り手が知り得ないことをいつのまにか体験したかのように錯覚する、というのはなんか面白い感覚ですよね。
 というか、誰かの話を聞きながら脳内でいろんな情報を補完してたりするのは普通のことなんですよね。騒々しすぎてその場にいるような感覚になったりすることもあるでしょう。この作品はそういう人間の想像力を利用した作品とも言えると思いました。

 ただ僕はちっとも面白いとは感じませんでした。
 心理描写はないに等しいし。

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