昔は、具体的に言えばワクチンがまだ無かったころは今以上に人が死んでたので、人間の命の価値って今ほど高くは無かったんですよ。
特に子供は病気でよく死んでたから「子供が死んでも本当の親である神様の元に帰っただけ」って事にしないと親は発狂しちゃうくらい、
子供ってふとしたことで死んじゃうんだよ。
日本ではいわゆる「七五三」っていうのは本来であれば「神様の子供から人間の子供になった」「1人前の子供になれた」事を祝う行事なんだよ。
現代日本では幸いなことに形骸化(けいがいか)しているけどね。
他にも例えば江戸時代では天然痘(てんねんとう)や麻疹(はしか)が流行したらドッタンバッタン人が死にまくっていたもので、人間の命はそれほど重要視されてなかったんですよ。
ワクチンの普及で天然痘が根絶し、麻疹もワクチンさえ打っていれば恐るに足らず。となったのは人類の歴史から言えば「極めて最近」の事なんだぞ。
だからこそ日本では武士道という「流行り病で露と消える自らの命よりも、後世にまで遺る名誉を取る」哲学が産まれたわけ。
いわゆる「ハラキリ」こと「切腹」も、そうすることで家の名誉が保たれるのなら「合理的な選択」だったんだよ。少なくとも当時はそう。
映画の「300(スリーハンドレッド)」でスパルタ国王レオニダス率いる300人の精鋭兵は結局ペルシア軍には勝てずに討ち死にしたんだけど、
その死にざまは「英雄の生きざま」としてギリシア中に語り継がれ、最後にはペルシアに立ち向かうスパルタ兵1万とギリシア兵3万の軍勢となったわけだ。
逆に死ぬよりも恐ろしいのは「忘れ去られる事」でしょう。同じく映画「300(スリーハンドレッド)」ではペルシア軍は
「スパルタに関わる資料を残らず焼き尽くし、吟遊詩人がスパルタの名を口にしようものなら舌を引きちぎって殺してやる!(意訳)」とまで言ったのは
当時としては忘れられる事が死ぬよりも恐ろしい事だ。というのを知った上で言ってるのだと思います。
「死ね」ば葬式位は開いてくれるのに対して「忘れられる」と葬式をしてくれる人すらいないのですから。
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