以前ツイッター(現X)で「言葉は生き物だから時代に合わせる必要がある」っていう話題が出てきたけど、語彙(ごい)つまりは「言葉のバリエーション」は保った方が良い。
そのためには「多少難しい言葉」も使うべきだと思ってる。
例を挙げればコロナ下で東京都が「アラート」とか「夜の街」っていう言葉を使ったけど「アラート」はカタカナ特有の新しさ、軽快さを重視した言葉で
「夜の街」っていうのは「昔からあって危ない場所というイメージ」を植え付ける目的があるんだと個人的には思います。
語彙(ごい)が豊かでないと、こういう所で印象操作されて施政者(しせいしゃ)の思い通りに操られると思います。
あの独裁者ヒトラーも「新聞はピアノの鍵盤である。たたき方によって、天国を地獄に、地獄を天国に思わせることも出来る」って言ってたから施政者の思惑にハマらないよう気を付けたい。
他にも
「小五月蠅い蝿共だ」と
「小うるさいハエ共だ」と
「こうるさいはえどもだ」と
「コウルサイハエドモダ」は
文章としては全く同じだけど受ける印象は違いますよね? それを無視しちゃいけない。と一応はWEB小説家という身分にいる者としては思いますね。
それに、語彙(ごい)力が無いと「ケーキの切れない非行少年たち」に出てくる
暑くても『イライラする』お腹が空いても『イライラする』悲しいことがあっても『イライラする』みたいに
「自分の不愉快な感情を『イライラする』以外の言葉で表現するのを知らない子」と同じような状態になるんですよ。
さすがにこれは極論だけど、より小規模にすれば似たような事例は出て来ると思います。
そうならないためには語彙(ごい)力は重要かと思います。
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