タイトルにもあるようにフェミニストやポリコレ、リベラルは
『常に純粋100%の「ベスト」しか無く「ベター」なんて問題外、絶対にありえない』のだと思っているのでしょう。
彼らは「話し合い」を必要としないし、それどころか「話し合う」という言葉の意味や内容が分からず「話し合う」というのがどういう物なのかその概念がつかめず、
ただひたすらに「自分たちに従うか逆らうか」でしか他人と話が出来ないんだと思います。
そもそも「話し合い」というのは意見の対立する両者の主張をくみ取った上で、意見をすり合わせて双方が「100%ではない」にせよ
納得のいく「落としどころ」を見つけてどちらにとっても「ベスト」では無いものの「ベター」な結論を導き出すものなんですよ。
フェミニストやポリコレ、リベラルはその「話し合い」を完全に、完膚(かんぷ)なきまでに否定します。
なぜなら「常に自分たちが100%絶対に、何があろうがカンゼンカンペキに正しいわけで、お前は我々に従うか逆らうかのどちらなんだ?」
っていう「敵か味方か」でしか語れないので、そもそも話し合いが物理的に不可能なんですよ。
それ以前の問題として話し合いというのが、議論というのがどういう物なのか、その意味や概念すら分からないのだと思います。
思い返してください。フェミニストやポリコレ、リベラルは話し合いに応じようとしましたか? してないでしょ?
フェミニストは「草津温泉」や「マリーのアトリエ」や「女性が出て来る広告」に敵意を向けているだけで、話し合いの場を設けようとしましたか?
リベラルは直近の例では福島の処理水、彼らの言う「汚染水」に関する問題で話し合いの場を設けようとしましたか?
ポリコレは「黒人の人魚姫」や「両性愛者のスーパーマン」や数々のポリコレ映画の批判を受け止めましたか? それについて議論の場を設けましたか?
『自分たちの行う差別は差別ではなく、他人の行う差別は差別』『私たちがやるのは良いけど、お前らがやるのはダメなんだよ』
随分と乱暴な言い方でしょうがフェミニストやポリコレ、リベラルの根底に流れているのはこれで、
これを掲げて自分達への批判を避けながら好きなだけ相手を差別し続ける『究極の差別集団』それがフェミニストやポリコレ、リベラルなんです。
フェミニストやリベラルは大体が「自業自得」な自爆を繰り返して信用を無くしたし、ポリコレも似たような事になってるでしょう。
それもこれも「自分たちは何があろうと必ず、絶対に正しいのであって何か問題があったら100%周りが悪い」という立場を崩さなかったことが原因かと思われます。
戦争ってこういう事で起きるんだなと思いましたよ。
「神が死ねと命じたら死ぬし、殺せと命じたら殺す」とはっきり言う狂信者とどこが違うのやら。
ツイッター(現X)やってます。日常生活で思ったことをつぶやいています。
https://twitter.com/agatuma_yui作品一覧はこちらから。
https://kakuyomu.jp/users/agatuma-yuiよろしければフォローをお願いします。