※今回はうつや自殺に関するお話です。苦手な方は閲覧を控えてください※
もうかれこれ10年以上、1日たりとも欠かさずに「死にたい」って思い続けているんですが、これは「認知のゆがみ」が根本的な部分にあると思います。
「自分はゴミクズのカスで、ただ立っているだけでも周囲の人間に迷惑と害悪を無限にまき散らし、死ねばロシアのウクライナ侵攻も物価高も解決する」
っていうのがすらすらと言えるメンヘラって「ぶっ飛んでるほど」に自己認知が歪んでると思います。
理屈でどうこうできるものではない。っていうのも分かります。
「なぜ死にたいのか?」って聞かれても「ありとあらゆることが死にたいの原因」になりすぎるんです。
メンヘラは全力で、ありとあらゆる労力を総動員してでも、死にたくなるように無意識のうちに自分を仕向けるので。
それこそ「死にたいから逃げるための時間稼ぎをしている自分」を見ても「死にたくなる」し、大谷翔平選手の活躍を見ても「彼は輝いてるのにボクは全くダメだ」って思って「死にたくなる」し、
行きたかった美術品の展示会に行っても「電車賃、入館料、途中のドリンク代に加えて何時間もの時間を無駄にしている」ってふと思って「死にたくなる」し、
脈絡も無しに突然、昔の工場で働いていた時を思い出して「死にたくなる」し、何だったら「今日は雲一つない快晴。でもぼくはダメダメのダメだ。死にたい」のであって、
何をしても死にたくなる、ってのは分かります。分かるんですが、それは認知のゆがみです。
「何もかもが『死にたい』に直結する人」に励ますつもりで「神様は乗り越えられる試練しか与えない」と言っても
「こんな残酷すぎる試練を、乗り越えられる実感やイメージが全然わかない。死にたいけど乗り越えられずに自殺したら、それこそ人間として失格なのだろうか?」と考えちゃって
「生きることはもちろん、死ぬことすら出来ない、許されない」とさらに追い込まれるのも「認知のゆがみ」が原因です。
メンヘラを励ますのは「普通の人間」からしたら逆効果になる典型例がこれです。何もかもが死にたくなる要因になるので本当にめんどくさいですよメンヘラって。メンヘラ本人が言うから間違いない。
『電卓を使っていくら計算しても計算式に全く関係なく計算結果が全て「死にたい」になる』と書けば分かるでしょうか? まぁ、分からない人には一切分からないと思うんですが。
さっきも言いましたけど『電卓を使っていくら計算しても計算式に全く関係なく計算結果が全て「死にたい」になる』のであってこの辺はメンヘラ本人ですら、どうしようもないです。
メンヘラは「自分は死なないと周りに無限大に迷惑をかけ続けてしまう」っていうのが物凄く確固たるイメージが出来るんだけど、それは「認知のゆがみ」であって本当の事ではないよ。
その昔、芥川龍之介先生が「唯ぼんやりした不安」を理由に自殺したんですが、あの芥川先生という文豪ですら
「唯ぼんやりした不安」程度にしか言語化できない程ありとあらゆるものが死にたいの理由になるんですよ。
「何をしても死ぬしかない、ありとあらゆることが『死にたい』に覆い尽くされている人」っていうのはいると思うんですよ。
そこに光を当てないと救える命も救えないと思います。彼らは何をしても「死にたくなる」から理由らしい理由を遺さずに死にます。
日常の、それこそ数ミリメートル程度のちょっとした段差に絶望して死を選ぶんですよ。
だからなぜ死んだのか誰にも分からないですし、たとえ分かっても「そんな豆粒みたいな動機で!?」って余計に分からなくなるでしょう。
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