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2023年6月21日の近況報告 実らない努力はしたくないという悪しき風潮

「売れるかどうかわからないのに作品描くなんて無駄じゃないですか。まず先にあなたが絶対に売れると太鼓判押してくださいよ、そしたら描きます」

「確実にヒットする傑作を構想してんだよ。頭の中で完成したら描く。妥協した半端なモンを世に出して時間を無駄にしてるおまえとは違うんだよ」

 伝聞ですが漫画家になりたい人の中にはこんなセリフをプロの漫画家相手に言ったことがあったそうです。
 個人的にはこんなこと言う奴には顔面にヒザの1発でも入れたくなりますが、今回は努力にまつわる話です。



 まずお伝えしなくてはいけない事があるとすれば「努力は報われるとは限らない」という事です。
 私は努力信仰者ではないし、努力しても報われない。っていうのは確実にあると思います。確実にあると言いましたが「それが普通」って言っても良い位です。



 世の中には「才能」というのは確実にあります。才能のある奴にはいくら努力しても勝てないどころか天才は大抵「努力し続ける才能」も兼ね備えていて凡人は絶対に勝てないように出来ています。
 それに親の収入という「環境」でも才能が伸びるか伸びないかが決まって来て、親が貧乏でカネがないから少年野球団に入れずに、野球の才能を潰す子供たちだっていくらでもいます。
「貧乏は遺伝する」という話もあるように、収入も遺伝するんですよ。



 マンガの神様である手塚治虫先生は幼少期の頃から宝塚歌劇団を見て育ち、医者になれる免許を持てるくらい勉強できる程には親の収入はあったそうです。
 もし彼の家が貧乏だったら、少なくとも「リボンの騎士」と「ブラック・ジャック」は生まれなかったでしょう。
 実家が太い事はありとあらゆる才能にダイレクトに影響を与えるんですよ。あの手塚治虫先生ですらそうなんですから他の人はそれらから影響を受けないわけが無いんですよ。



 ここまで書くと「天才に産まれなかったら努力しても無駄だ」「実家が細かったら人生クソゲーだ」っていう結論になりますけど、個人的には「それでも努力はしろ!」とは強く言いたい。
「無駄な努力はしたくない」って言うけどじゃあ「無駄」か「無駄じゃない」かを何で「お前ごとき」が判断できるのか? って話になりますよ。
 英語が得意で翻訳家になりたかった人が最終的には英語の教師に着地したとして、それのどこが失敗なのでしょうか?



 かいけつゾロリを描いている原ゆたか先生が「ゾロリ」しか読まない子がいるとの言葉に対して、
「今まで本を読まなかった子が読むようになったのだからいいじゃないか。読んでためになるのでなく、読んだ人がためにするのだ」っておっしゃっていましたが
 この「読んだ人がためにするのだ」っていうのが努力も同じような気がします。



 それに努力って個人的な意見なんですが「外国通貨の積立貯金」みたいなもので、
 最初から想定していた量の貯金が出来なくても数年後相場で値上がりして気づいたら凄い額になってた。っていう話もあるし、逆に
「国家が財政破綻して紙幣が紙くずになってしまった」事も起こりうるものなんですよ。



 まぁコスパの面で言ったら大抵の努力は「最悪」ですよ。Z世代だったらもう近づきたくも無いし想像するだけで、視界に入れるだけでも寒気がするってレベルですよ。
 最近では「親ガチャ」なんていう言葉がありますが(口に出すのもはばかられるほど酷い言葉だ)
 じゃあお前「イーロン・マスクの子供」に産まれたら最強究極の勝ち組になれるのか? って話になりますよ。



「そうだ! イーロン・マスクの子供に産まれさえすれば最強究極の勝ち組になれたのに! オレもこんな親じゃなくてイーロン・マスクの子供として産まれたかった!」
 って腹の底から断言できるなら、悪い事は言わん。その考えは改めた方が良い。現世の親に対する「最強究極の侮辱」だよ。
 その考えを改めない限り死後は地獄行き確定。って断言できるほどの酷さだよ、とは言っておく。



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