歴史小説の美人について

石原さとみと山口百恵のどっちが美人?て話じゃないかと思います。あるいは若いころの加賀まりこと岩下志麻、もしくはチャン・ツィイーとコン・リー。

だってどっちも美人。これをどっちが一番か、てなると、もう選者の美意識でしか決められないんじゃないですか?あやめか牡丹か的な。

いや、戦国一の美女って言われたお市の方の話です。前回のノートからお市引きずってますけど。

この人はおそらく本当に美しい人だったのでしょうけど、美人はあちこちにいたはず。個人の美意識によってはこの人より美しい茶店の娘だっていたんじゃないかと。

それが戦国一と言われるのは、信長の妹という象徴的な境遇と、悲劇的な生涯に負うところが大きかったんじゃないかなと思っています。それほど劇的でもない一生を送れていたら、戦国一とまでは言われなかったんじゃないかしら。姉だか妹だかのお犬の方みたいに。

要は、一番の美人と言われるには、ただ容姿が美しいだけでなく、人の心を打つストーリーを人生に持っているということが必要だったんじゃないかと思う、ということです。

人生にストーリーがあるということは、ただ権力者の意思や時代や状況によってあっちにやられこっちに置かれしただけでなく、当人がその人生において何事かを考えて、決断をして、行動したということが大きな要素になってくる・・・と信じたい。

だから、ただ結婚したから当然みたいに夫を愛するようになって、浅井の小谷では一緒に死のうと思っていたのになだめすかされて織田に連れていかれたとか、柴田と一緒に死ぬ気になったのも情にほだされて・・・みたいなのは読んでて辛い。

そもそも女房子供とまともに団欒なんてできない戦国武将に嫁いだなりに愛するようになんてなれるかな。会話あったのかな、くらいの話。男だって、嫁に惚れさせようとも思ってなかったでしょうし。

なので、女なんて手に入れたらもうこっちのものみたいに思っている男の横っ面ひっぱたいてやるような女のことを書きたくて、妄想がはかどるのです。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する