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蝋燭に照らされた食卓には何もなかった

「明日は我が身」や「加害者」という感覚は死に直面したことがある人だけが得られる技みたいなものだと思う。
このコロナでどれだけの人が今までの人生で死に直面したことがないのかと唖然としている。正直笑ってしまうほどだ。
最も言いたいことはコロナにより日々を左右された人々への同情や憤慨ではない。
どれだけこの国の人が死の多面性を感じ取れていないかということへの絶望だ。

死はすぐ隣にいる。
愛の枯渇も死であるし、人をないがしろにすることは殺人である。範疇にないことを定型文で語ることは心臓を槍で射抜くほどの力がある。

命を奪われる経験は誰しもが生きているうちに体験できるものではない。復活という不確かな挑戦をするような勇気のある人も少ないから死に飛び込むチャンスを見て見ぬふりをしている。私にはそう見える。無知の知をさらけ出すことも復活体験であるし、そこに虚栄心がくすぶるのであれば、語らずやり過ごすべきだ。

私が心底イライラさせられるのは、想像力のない人間が一面的に常識を定型文で博識ぶって語ろうとすることだ。使い古された意味を理解していない言葉を聞くだけでも辟易とするのに、共感できますという類のずるさには吐き気がする。
誰かを貶める、いわゆるマウンティングというやつがどれだけ人を殺すのか、職業差別然り、学歴差別然りである。この世が作った物差しに準じて相手の命の灯を消す。その物差しを作ったのが自分を蔑んでいる誰かとも知らずに喜んでその物差しを使っている。滑稽そのものであることに人は気づけない。
さほど知識もないくせに考察する努力もしないくせに人を見下す人間の言動を見聞きすると、心の中がすっと冷えていく嫌な感覚を覚える。
人は言葉によって殺される。
私の心の冷えはその瞬間大きな炎となって相手を焼き殺してしまおうと背筋が伸びる感覚を覚える。私の炎は全方向からであるから、背水の陣をもひけない徹底さがある。向けていた笑顔が消えると相手はまずガソリンを失う。私の姿が見えなくなるとエンジンが切れてしまう感覚を覚えるそうだ。
(こう宣言しておけば痛手も最小限ですむだろう。餞だ。)
彼は言う、
「君は麻薬のような不思議な中毒性がある」。

ある人が私の心の中で最近消えた。
本当に突然のことで私自身とても驚いている。
何故かわからず困惑する日々で理由を常に探っていた。
でも理由が分かった。
私の命を傷つけられたからだ。
一面的な常識を定型文で語ったことは、私へのどの類の思いだったのかはわからない。
それでも、愛しい私の命を消し去ろうとしたことは忘れることができない。
恋人や最愛の人であればここまで躍起にならない。
私の愛しい命は誰よりも賢く美しい炎を孤独に燃やし続けている。
この命を傷つけられることは、すなわち私の命を消すことだ。
命は強くしなやかで美しい。誰にも勝り賢い。忍耐強く愛情深く、不器用さがあるものの誰よりも純粋で誰よりも暖かい。冷静で冷徹な命は私の半身であり、私を世界から守る。

カフェの彼に出会うと私の人生が動く。
何も起こらなくて不思議だった。
でも、確実に動いたことを思い知った。
カフェの彼もまた美しい人だ。東京に住む彼もまた美しい人だ。
美しさとは賢さだ。
賢さとはずるさがないことだ。
たとえ状況が不利でも他者を傷つけず、貶めず、好機を虎視眈々と見極める。

ただ許せなかったのは私の命を人格ではなく移ろいゆく不確かなこの世のマジョリティ的常識で判断したことだ。


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