まず、私事ではありますが「少女は考える」のレビューを書いて下さった方、本当にありがとうございます!
書いていただけるだけで有難いのに、いろいろご指摘していただいて……。もっと、技術を上げて書いていきます!
さて、本題に戻りますが、タイトルが「何かを表現すること」なのですが、私自身、何かを表現する機会が人より多い人生(とは言ってもまだ短いですが)を歩んできました。
趣味で絵を描いたり、部活等で合唱や吹奏楽、今では演劇をしていていますが、「表現するって難しいな〜」とつくづく実感させられます。
例えば、吹奏楽では、お話が曲の中織り込まれている作品が多々あり、それをどのように言葉を使わず、音だけで表現するか、が大切になります。
このことについて、顧問は自分の中でのイメージすることが大切だと言われました。
例えば、福島弘和さん作曲の「じんじん」では、冒頭の部分の八小節でブォンと低音が鳴り響き、テナーサックスとユーフォニアムの海のさざ波を思わせるメロディーが低音の譜面上に音が乗ってきます。
だから奏者は、ブォンで沖縄の地平線まで続く海を思い出させて、落ち着いたメロディーであの綺麗な淡い青色の美しさを自分で想像〈イメージ〉しながら吹くのです。また、楽譜にその絵を描いてイメージを膨らませる奏者も中にはいます。
正直、始めはそんな「イメージしろ」なんて言われても無理だし、難しいです。私も苦戦しました。でも、やってみると意外と単純でした。みんなとほぼ同じイメージをして吹いてみると、指揮者や視聴者だけでなく奏者自身にも、地平線まで続く淡く、美しい青い海が見えるんです。これが凄く気持ち良くて、楽しいんです。
「やばい、海見えた……! 」って感動し、鳥肌たちます。
他にも、ズンチャズンチャのリズムのところでは、祭りのイメージをしながら吹くと自分たちもお祭りの中の一部になって、楽しくなってきます。奏者、指揮者がお祭りになると、さらに視聴者までも楽しいお祭り気分になって、会場が一体となってお祭りになります。
これがあるかないかだけで、完成度は変わってきます。たしかに、奏者自身の技術もありますが、イメージがあるか無いかは大きく結果を分けると思います。
ちなみに、吹奏楽コンクールでは、始めの何小節だけで結果が決まると言われています。
これを本番直前で言われるプレッシャーは尋常ではないです。
(私はテナーサックスを担当していたので、これを言われたときは死ぬかと思いました。)
また、演劇では言葉を遣う分、何を伝えたいのかというメッセージ性や登場人物の感情の移り変わりや成長を表現しなくてはなりません。そこは、小説と似ているかもしれませんね。
演劇について詳しくは語れませんが、今まで演技をしてきて思うのは、〈間〉(ま)ではないかと思います。
例えば、長い沈黙のシーンがあるとしましょう。小説では、
『A子とB子の間に長い沈黙が続いた。』と表現します。
それを演劇にすると、その"長い沈黙"を実際の会話の間のように演技しなくてはなりません。これが本当に難しい。
小説では、間は自分の想像する長さで楽しめますが、演劇では役者だけでなく、視聴者に納得できる長さではいけません。長すぎても不自然だし、短すぎても沈黙にはならないし、人によって長い短いが違うのです。
逆に言うと、この間をうまく遣いこなせれば、面白い作品に近づけるということです。ドラマでは分かりにくいですが、演劇作品を見るときは、間を気をつけて見てみるとまた面白いかもしれません。
このように、『表現すること』は同じでも、ジャンルの違いで、方法は全く違うのです。
そこがとても難しかったり、とても面白い部分であったりします。また、それを完璧にさせて披露して、拍手を聞いたときの達成感や色んな人のお言葉を頂くのがどれだけ嬉しいことなのかを味わうと更に頑張りたくなります。
では、小説では何が難しくて何が面白いのか、(もう既に実感していますが……)これからじっくり楽しんでいきたいと思います。
読んで頂き、ありがとうございました。