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交流

 なんだか筆が乗ったので久しぶりに一週間で最新話を投稿しました。すっげぇやり遂げた感が溢れてるんですが、これ以上のスピードで書かれている人はごろごろいるんですよね。ここが魔界か……。

 次の近況ノートはリアルさとリアリティについて書こうかなーなんて思っていた矢先、興味深い投稿作品を見つけました。「作品を読んでもらうためにあなたができること」(著:水谷 悠歩)です。
 乱暴に要約すると、「おすすめレビューをすれば、相手も自分の作品を読んでくれてウィンウィンですよ」という創作論・評論です。

 これはぐうの音も出ない正論で、ネット上で作品を公開して評価を得たいならそうするしかありません。
 ネット小説の宿命で、星の数ほどある作品の中から自分の作品を見てもらうには、作者同士の繋がりを作るか、たまたま新着とかから見つけてもらう奇跡にかけるかしかないのです。後者はまず望み薄ですし。

 カクヨム黎明期に立ち会った作者さんなら体感したとおり、その発想は一年以上前に現れていました。あのとき、より効率よく閲覧評価を集めるためにレビュ爆フォロ爆が横行したのも、根本はその発想です。
 そういう下心しかない姑息な真似ではなく、真摯な交流で互いの作品を広めあおうぜ、という提言は非常に素晴らしい。あと私の小説読んでレビュー下さってありがとうございました(私信

 ただそこには大きな落とし穴があります。
 評価をもらったなら、評価し返さなきゃ。そう思うのは当然のことで、おそらく大半の人はフォローなり★なりをもらったら無視はできません。
 たとえそれがまったく興味のない人で、小説の内容にも惹かれず、内心でクソみたいな筆力だと思っていても、せめて読み返して★くらいつけなきゃ……となるわけです。
 レビューをし、レビューを返され、その輪が広がっていく。
 立派なコミュニティ(しがらみ)の完成です。

 本来なら歯牙にもかけなかった作品を頑張って読み、この人ほんとに私の小説面白いと思ってるのかな……と疑わしい人に★をもらい、それが果たして健全な評価でしょうか?
 評価しあっている方々の近況ノートのコメント欄を覗いて、お礼のし合いで和気藹々としているのを見て、私は怖気が立ちました。

 またレビューを返されることに慣れたとき、レビューを返してくれそうにない人を見つけたときどうするでしょう。
 評価くらいはするけど、わざわざ内容を吟味してレビューを考える気になんてなるわけがありません。そもそもその人の作品を読もうという気になるかさえ怪しいものです。
 自然、ちゃんとレビュー返しをしてくれる保証のある、コミュニティ内の人の作品にしか目が行かなくなるでしょう。
 「読んでほしいならまず私達の小説読めよ^^」なんて空気は、既に蔓延しています。
 コミュニティの弊害。排他的で閉鎖的な世界が勝手に作られ、駄サイクル、馴れ合いが生まれる。
 カクヨムは元々コメント機能がありませんでした。おそらく、そういうコミュニティが形成されるのを嫌がったのではないでしょうか。ただ当初の運営ブログにもちらっと書かれているとおり、想定以上の利用者が流れ込んできてしまって、そうも行かなくなってしまっただけで。

 なんだか長々と書きましたが、カクヨムもSNSである以上、交流がおかしいことだとは思いません。そもそもコメント自体、利用者の希望で拡充されたものですしね。運営さんもそういうあり方を認めたということでしょう。
 ただ、人同士の付き合いなんてまっぴらごめん、そうしなければ読まれないのだとしたら閲覧0でもやむなし、と考えるアホみたいな人もいるということです。
 私の無駄に喧嘩腰な自己紹介欄、そして小説フォローはするけれどユーザーフォローを頑なにしたがらないのは、そういう理由からです。
 来る者拒まず去る者追わず、でも手を握られそうになったらブロックする覚悟です。カクヨムにブロック機能ありませんけど。

 すっげぇくだらない記事になっちゃったなぁと思いつつ、せっかく無駄に長く書けたので公開することにします。
 でも早く他の記事を書いて、せめて新着三件から追い出さないと色々と反感を買うかもしれない。なんて完全に自意識過剰。

 作家が物を語るなら物語で語れ、というのが信条です。

 たとえそれが無様な自己満足で、自分にとってカスほどの得にならないのだとしても、それで私は十分なのです。
 まぁ私は自分の発言とか信条とか別に破ってもなんとも思わないので、なんかしらないけどこうしてつらつらだべったわけですけど。

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