風邪気味だ。
ぼんやりする頭を抱えながら、安楽椅子に深々と座る。もちろん、安楽椅子なんてものはどこにもない。
ませた子供が煙草を吸うポーズをして余韻に浸るのと同じようなことである。
体調が悪いと意識が覆い隠してくれる領域がちらりと見えてくることがある。まあ関わると大体ろくなことにならない。
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大学時代の友人がしきりに訴えていた説がある。
その名も排便平等説。人は差別や格差に満ちているが、その中でも死ぬことと排便をすることだけは、どんな人にも平等なのだという。
大王だろうが、お嬢様であろうが、スターだろうが、ニートだろうが、排便はする。
そしてそれは誰のものでも醜いものらしい。便そのものもそうだし、そのために個室なり茂みになりに移動して、多かれ少なかれ力むという行為そのものも醜い。
そしてその平等さにたまらなく興奮するらしい。
まあ、ひどい話だ。
当時の彼はルサンチマンだったのだろうか。
大体、誰でも平等とは言うが、きっと今をときめく大谷選手は健康管理や食事管理によって、それは綺麗なバナナ型を出すだろうし、サマにもなっているだろう。
便そのものも色も形も食べたものや病気によって変わるものだ。
全然平等じゃない。
この世はとことんまで不平等だ。
そうだ、そうでなくっちゃあ、
そんな阿呆みたいな理論を出した彼が、結婚出来るはずがないのだ。