• 現代ファンタジー

自分を満たす創作力

 ふと思ったこと。

「夢咲蕾花、お前はファンアートを描くのが好きというが、自分の作品作りはどうなんだ? 好きか? そうか、そうだな、じゃなきゃこんなに描いたり続けたりしない。見向きもされないのになぜか絵は描くよな。だがなぜ小説となると評価や外聞ばかり気にするんだ?」

 内なる自分からの問いかけであり、内なる自分への問いかけです。ふと思ったことをミスキーに書き込んで、そのすぐ後に「本当にこれはなぜなんだ?」と疑問に思い、スクショと共に公開します。一部不適切な発言も含まれますが気にしないでください。


 内発的動機=自分を満たしたいという欲求から始まる動機。
「自分を満たそうとするための創作意欲」が足りていないから評価ばかり気にするのか? とふと思いました。
 別に小さい頃なにか競争しろと鬼気迫る教育を受けたわけではないんですが、私は当時から足が遅く、徒競走となると大体負けて恥をかいて笑われてました。思えばそれが「負けることは恥ずかしくてみっともない無様なことだ」という刷り込みになり、「見向きも評価もされないことはクソだ」という今の価値観に繋がってるんじゃないかと思います。

 ならなんで絵は続くんだろう? と不思議です。実際私の絵はツイッター基準で言えば10いいねつくことなんて過去に十回もなかったくらいですし、当然バズった経験もない。
 にもかかわらずなぜか続いてます。不思議で奇妙です。まあ最近は、評価とは別軸のところで絵の創作が滞っていますが(自分の技術不足にぶつかるタイプの、成長痛的なスランプです)、それでも度々描きますし、直近で言えば抽象画なんかにも挑戦しました。

 ひとまずはしっかりと書き切れているゴヲスト・パレヱド第一部を投稿し切って、完結作を作っちゃうことですね。

2件のコメント

  •  蕾花様創作の内発的動機が薄いって意外です。自創作とか世界観をしっかり作っておいでなので、むしろ内発的動機が強そうな気がしておりました。いや、自分が内発的動機強めなので、同一視していた節もあるかもしれませんが。

     むしろ評価を気にする書き手の方は、読み合いとか営業に勤しんだり、作品に対して妙にストイックな面を持ち合わせるようなイメージがありましたので。

     作品を完結させるって、大変ですがホッとしますよね。私の場合は、普段の執筆は牛歩そのものですが、完結間際になると何故かブーストが掛かり、最後の2,3話を1~2日で書き上げたりしています。
     私事が多く失礼します。
  •  薄いというか自信を持てないって言った方が正しいのかもしれないですね。これでいいのだろうか、みたいな、妙に世間を気にする部分が邪魔をしてしまう、それが承認欲求と結びついてしまうみたいな感じです。
     内発的な動機自体は、多分強いんですよ。強いんですが、自分を満たすための基準が他人からの評価にシフトしがちなのかな、と。

     私は読み合いは、一時期してました。とはいえふとした瞬間に「これ、俺はこの人の作品が好きなのかお返しが欲しいだけなのかわかんないな」と気づいてやめちゃいましたね。

     私もラストでブーストがかかるのはありますね。途中〜全体進捗の40〜70パーの部分で足が止まることがありますが、そこを乗り切ってしまうとあとは一気にガーッと行く感じです。
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