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禁忌、という術式上の制限の設定を追加

 度々私の作品には「妖術の効果範囲を狭める代わりに効果を底上げする」「結界から出られるが入れない」のような足し引きの描写があったと思います。
 これも呪術廻戦やその他バトル漫画で見られる「足し引きの法則(勝手に命名)」の影響で、「効果のいいとこ取りはいいバトルを成り立たせない」という理屈に従って行なっているわけですが、私の作品においてはケルト魔術で言うところの禁忌、という言葉を借り、それをマイルドにして誓約、としました。
 例えば大英雄クー・フーリンが決して犬の肉を喰わないというゲッシュを立てたように、常闇妖怪は己自身をその宇宙の神と見立て己に誓約を立て、それを保護にした際のなんらかのペナルティと引き換えに妖術効果を引き上げるわけですね。

 発動条件をガンガン狭めていくことでピーキーながらも破壊力抜群の術にするのか、効果範囲と引き換えに威力や速度を捨てるのか、あるいはなんらかの制限を立てることで対象条件を拡張するのか、とか。

 こういう設定を考えながら執筆している時か、ヒューマンドラマ書いてる時が一番楽しいです、ぶっちゃけ。

3件のコメント

  •  大仰な物では無いですが、私も妖怪たちの術に制限はありますね。例えば源吾郎君の持つ現実改変は、改変した現実と同質以上の損害を被らなければなりません。誰かを蘇らせるには、源吾郎君ないしその周囲の誰かの生命が犠牲になるという感じです。
     そんなとんでもない能力に育ってしまったのも、源吾郎君がしょうもない事を改変しないという意志の強さに起因しています。そしてそれ故に、「どのような事が起きても現実改変に頼らないようにする」事を心掛けないとならないという状況になってます。皮肉ですね。

     あとは喰らった相手の能力をそのまま自分のモノにできるって妖怪もいますが、能力のみならず相手の自我も入り込むので、調子に乗って喰いまくっていると自我の混濁が生じるとか、そんな事も考えていたりします。

     長文失礼しました。ヒューマンドラマはマジで面白いゾ。
  • こういう設定を考えながら執筆している時や、ヒューマンドラマを書いている時が一番楽しいです、ぶっちゃけ。この気持ち、よく分かりますね! 今後とも素晴らしい作品を書いてください。
  •  やっぱり能力には制限がないと面白くないですよね。無制限に因果を書き換えられたり現実を塗り替えられたりしたら物語の意味がなくなりますし、敵も因果操作持ちみたいなとんでも超展開のオンパレードになってわけわかんなくなりますしね。
     ある程度、タイムリープでやり直すヒューマンドラマ、みたいな因果操作じゃないとそういうのは成り立たないと思います。

     能力吸収系で言えば桜花君の百鬼万劫があたりますが、これは同時術式ストック数は一個、自分自身には攻撃能力がない術であり、敵からのカウンター制御で初めて成り立つ術式だったりします。つまり、カウンター専用の妖術で、桜花君の「僕は殴られない限りはこちらは手出ししない」という強靭な防人の性格が顕になった術式ですね。

     ヒューマンドラマは学生時代〜二十代前半には良さがイマイチ理解できてませんでしたが、最近マジで楽しいっすね。

    神崎小太郎様
     設定だけ、独立して考えるのも好きなんですが、本文と一緒に律動させながらフィーリングで考えていくのも楽しいんですよね。
     なので自分で作った設定に対しあえて矛盾をぶち込んでいくことも厭わないので、あとあと読み返すと微妙に矛盾している描写があって、そこはネット連載の恩恵でこっそり直したりしています。
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