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 永瀬清子『すぎ去ればすべてなつかしき日々』を読む。永瀬さんは詩人だが、これはエッセイ集である。住んだ土地も年代もまったく違うのに、これを読んだわたしは、幼少期のころを初めて思い出した。
 北国の1970年代に生まれ育った。母はそのころ高校の教員をやっており、わたしを連れてK高校に教えに行った。記憶は夢か現実か混同するが、なぜかそこには巨大なエレベーターがあり、母と手をつないだわたしがエレベーターに乗ると、大勢の女子高生たちが「可愛い!」とわたしを見て一斉に叫んだことを覚えている。
 当時は子育て支援がなかった。ワークライフバランスのワの字もなかった。母は勝手にわたしを職場に連れ出し、誰にも預けないで授業をした。その間、わたしは他の職員さんたちの部屋に入っておやつやお茶を飲んでいた。授業が終わった母がわたしを必死で探し、職員さんたちに、無断でわたしを連れてきたことが見つかった。以来、子育て出勤は記憶がない。母はやめたのだろうか。職場が母を辞めさせたのだろうか。わたしを育てるために職を辞めて家にこもったのだろうか。
 姉は幼稚園に行っており、わたしはまだだった。同じ幼稚園に通おうとしたが、なぜか登園拒否になった。少し遠い、新設の保育園に通った。姉は通園バスに送迎されたが、わたしにはなく、見送りも出迎えも全部母がやった。わたしは育てにくい子どもだったのだろう。
 子連れ出勤したのは、おそらくわたしが2歳のときだ。自分でやっと歩けるようになり、バス出勤で遠くまで行き、預け場所も確保しないで授業を行った。
 いま思えば、母は正しかった。子連れ出勤を認めようと働きかける前に、すでにいるのだから子連れ出勤せざるを得なかったのだと思う。
 わたしたちが手のかからなくなったころから、母は職を辞めた。

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