私は今、SNS断ちをしています。
うん、まあ、この文章は多分Twitterに載せますけど(宣伝のため)、今までご当地グルメとか大量に載せてたり、みんなにいいねして回ってたのやめてます。てか、見ていません。
理由は疲れたとか、主戦場のTwitterがおかしくなったとか、まぁ色々あります。
けど最大の理由は「時間かけて無駄なこと書いてる意味、あんのかな」という疑問です。
言ったように、主戦場はTwitterです。文字数はたった140文字です。その中でわかりやすい、見やすい文章を書かなければならない。グルメなら味、内装、客層、自分のテンション、周囲の反応、その辺をなるだけ詰め込まなければならない。
結果、伝えたい言葉を短く削ることになる。
写真に頼ることになる。
顔文字とか盛りまくって、いわゆる『おじさん構文』化になっていく。
気が付くと、どっかで見た文章になってるんですよ。
それ違うよなあって、悩むんですよね。
私が一番重視してるのは、自分がいかに納得できたかであって。
二番目が、他人にどれだけ影響を与えたかなんですよね。
でも、SNSにそれを望むのは無理じゃない?
最近SNS内の人間関係がこじれだして、ああもうこいつら見たくねえわってなって。それでもみんなと同じご当地記事をUPしようとして、ふと思ったんですよ。「私の夢って、こんなことだったっけ?」と。素性も知らない人間のご機嫌取りながら、駄文を並べて楽しい事だけべらべら語ることだったっけ?と。
自分の妄想を言葉の力で具現化して、ただひたすらに彫り進む彫刻家のように没頭することじゃなかったっけ?
それがなんかの賞に引っかかって、書籍化できればラッキー。できなくっても、思った通りの反応が一つでも返ってきたら最高じゃんって思ってなかったっけ?
……そう思ったら、浪費してきた時間と言葉がむなしくなってきたんですよね。もともと他人に執着しない性格だったのに、イライラ募らせてやりたいことができていない。そんな自分が大嫌いだ、全部小説にしちまえよ、全部昇華しちまえよ、そしてすっきりして日常送りたまえよ自分!!って。
リアルの関係も、いろいろ思い通りになってないんですけどね。(特に相方の理解がほぼなくて、小説書く時間がすべて奪われている状態)だけど、それでももぎ取って書かなきゃ私じゃねえよなと。浪費される言葉と時間がかわいそうだわな、と。
あと、グルメ記事を書くこと自体は案外楽しいけど、それも本気で書きたいよなって。私香川住みなんですけど、香川のうどんブームのきっかけは地方雑誌のグルメ記事なんです。「恐るべき讃岐うどん」って連載なんですが、これが探検記みたいで面白いんですよ。映画にもなったくらい。
もう30年くらい前のものですが、あれくらいのインパクトを目指したいな、と。
そんなわけで、自分の文章っていうものを見直している今日この頃です。