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事実を物語にする理由。

暗い話が続いてもうしわけありません。
しばらく書きたくても書けない環境だったので、もう溜まった澱が噴き出すように書きなぐってます。次は明るいのとかSFだとか書くつもりですが、なにせ好きな作家が太宰・芥川・江戸川・横溝。……暗くて当然というかなんというか。

さて、なかには無から有を産む作家さんも多いでしょうが、私は大抵が実体験であったり、実際に知っている人を軸にしています。妄想から生まれるキャラもいますが、いまUPしているものはすべてモデルがあります。

たくさんの人が読んでくださった『蛇の家』だって、私の実家で起こった事です。ラストこそ子供が解放されるように変えましたが、実際は私だけが逃げられました。弟2人は、母の影響下に残ったままです。
本当の母は、もっと賢くて恐ろしい、聖母のような笑顔をした人です。我が子が助けを求めようにも、誰も信じないような環境を作っていました。まるでホラーの世界です。


まだ毒親などという言葉が生まれる前、私が受けた精神的虐待のありのままをブログに書いたとき、私は多くの親世代の方に叱られました。『親を許しなさい、いや許すんだ』『あなたの思い違いです』『それは親の愛でしょう、感謝しなさい』などなど。
私はそれが悔しかった。だから、我が家の闇を物語に変えました。すると、もっと多くの年齢層から共感の声が届くようになったのです。



事実をありのままに書いたって、人はあり得ないと拒絶する。
だけど『作り話』だと言われたら、あっさり受け入れ心に残す。



私の目標は、虐待を世に問う小説を書店で平売りしてもらう事です。できれば虐げられた側の苦しさだけじゃなく、虐げる側の正義感や熱意の高さも理解してほしい。虐げられた側が悪になる瞬間も気づいて欲しい。そして、『どちらが悪いとかいうのではなく、条件さえそろえば起こる社会現象なんだ』と理解してほしい。

世の中は、人をきっちり善と悪に分ける事が好きです。
だけど実際には、誰もが両方に加担しているのが人間社会です。人間の手は、全員が等しくどろどろに汚れている。
最終的には、そういう人のカオスさを書きたいです。

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