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『偏屈に与ふる書』投稿

唐突ですが、予定外の作品を書きたくなったので書いてみました。
前回中止した創作論のうち、私が現状批判を行っている一部の方に対し長く感じていた違和感とそれに対する批判を切り出して書いたものとなります。
カクヨムもいろいろ問題を抱えてますので、当然それを批判する方もたくさんいるわけです。ですが、ちょっとばかし行きすぎた人が見受けられまして……。
特に「テンプレ」系の作品なんか、もう批判というより攻撃や存在否定に近いこと言われてしまっていますからね。
あっちに悪いところがかなりあるのも確かなので批判するのは一向に構わないのですが、「我に正義あり」で見下していびり倒すのには「お前何か勘違いしとらんか?」と言いたくなるのです。
それに作品中でも書きましたが、中間が出たらどうするんでしょうか。嫌味でも何でもなく不思議なんですよ。一応代表作の『天ノ川連邦見聞録』がまさに中間に属する作品ですので余計に。
やはり憤怒は行きすぎると人を闇落ちさせるなあ、視野を狭くさせるなあと思いますね。

ところで私の体験として挙げた戦前流行歌の話ですが、「大暴れをした偏屈な女性歌手」が誰であるかはある一定の世代の人には分かってしまうと思います。角が立つので名前は一切書きませんでしたが。
正直きついです、彼女の歌声を聞くたびに戦後の暴れぶりが頭をよぎるというのは。非常に優れた方だけに残念すぎる。

音楽ついでにもう一つ。音楽界にはかつて「偏屈」と無縁すぎる歌手がいました。
「我が良き友よ」で有名なかまやつひろし(ムッシュかまやつ)さんです。
この方は年下にもていねいに接し、決して驕ることはなかったといいます。
それどころか「若い人たちのことが分からなくなったらおしまいだ」と言い、積極的に多くの若い歌手と交わっていました。
晩年、七十代でアニメの主題歌の作曲を担当していたほどですしね。
取り立ててファンというわけではないのですが、この方の思考の柔軟さには私は絶対に追いつけないなあ……と思います。

追記
初めてどこの自主企画にも入れられないという体験をすることに。
創作論・評論系の自主企画ってほとんど見ないんで、もしやとは思いましたが。
というよりファンタジーや恋愛に偏りすぎ。これもまた問題の一つなんですよねえ。

2件のコメント

  • 苫澤さん、こんにちは。
     先日は演歌と流行歌の対立背景についての丁寧な解説をありがとうございました。
     先鋒を担いだ流行歌の某女性歌手の気持ちは、たとえば「日本の小説はこれからなろう系になるのだ」と云われた時の、それ以外の書き手さんの気持ちに喩えると、ちょっと理解出来る気がします笑
     現実にも演歌の方が「日本の心。日本人の魂」と紹介されて長いです。
     正規の音楽教育を受けてきた人たちにとっては、演歌の方が前に出るというのは悲鳴を上げたくなる事態だったのではないかと。

     流行歌が詩情なら、演歌は情動のように想いました。

     ところで、かまやつひろしさんはOVA「戦闘妖精雪風」において作品世界まったく無視した能天気な曲をあてられまして、あれが強烈に頭に残っております。あれは人選ミスでした……。
  • 朝吹様

    >先日は演歌と流行歌の対立背景についての丁寧な解説をありがとうございました。
    ご参考となりましたならば幸いです。
    実際には戦争との関係や音楽業界・テレビ業界の事情などもっとどろどろした背景もあるのですが、余り書きすぎると大変なので大体の骨子だけで済ませていただきました。

    >先鋒を担いだ流行歌の某女性歌手の気持ちは、たとえば「日本の小説はこれからなろう系になるのだ」と云われた時の、それ以外の書き手さんの気持ちに喩えると、ちょっと理解出来る気がします笑
    なるほど、確かにその例えがしっくり来ますね。私もそう言われたら「ああん?」になるでしょうから。
    ただそれでもあの人はひどすぎました。元々気性の烈しい、言ってみれば烈女というべき人だったとはいえ……。
    他の方が別口で音楽の才能を生かす方向に転職したり、黙々と自分の信じる道を進んだりしたのを考えると、余計に悪目立ちするんですよね。

    >現実にも演歌の方が「日本の心。日本人の魂」と紹介されて長いです。
    演歌歌手の方はそう言いますね。すっかり定番になってしまいました。
    ただし「その割には音楽的には西洋音楽ベースなんだけど」とか「男女観や恋愛観が古臭すぎるだろ」などという突っ込みも可能になってしまいます。
    それに「演歌こそ日本の歌謡曲の代表」とも取れる言い方になっているので、個人的にはちょっと……なのですが。

    >正規の音楽教育を受けてきた人たちにとっては、演歌の方が前に出るというのは悲鳴を上げたくなる事態だったのではないかと。
    まさにそうなんです。昭和二十年代終わり頃から現状の流行歌に適応出来ない人たちが出て来てたところに、いきなり急成長してどかんですからね。
    そりゃあ悲鳴ものでしょうし面白くもなかったでしょう。

    >流行歌が詩情なら、演歌は情動のように想いました。
    その表現はうまいですね。
    演歌は感情を時にど派手なまでにこめることが表現の肝にもなりますし、こぶしもまたその技法の一つとして使われています。
    こういうことは流行歌ではやらなかった、というよりそういう概念がなかったですからね。ある意味詩情で純粋に勝負の世界だったというのはあります。

    >ところで、かまやつひろしさんはOVA「戦闘妖精雪風」において作品世界まったく無視した能天気な曲をあてられまして、あれが強烈に頭に残っております。あれは人選ミスでした……。
    ありゃまあ、そんなやらかししてたんですか。
    あの作品は私も少しだけ知ってます(見たことはありません)が、かまやつさんのスタイル考えると明らかに場違いですね。
    何がどうしてそうなってしまったやら……。
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