大谷翔平選手が50本塁打50盗塁……、を通り越えて51本塁打51盗塁を達成しましたね。
朝起きて、Twitter見たらオオタニサンオオタニサンで、あれよあれよという間にヒット・盗塁・ホームランのオンパレード。最近まで「彼はきっとベーブ・ルースが転生してきたんだろう」と思っていましたが、ここまで来るとそれすら怪しくなってきます。
昨今は本当にタイトルの通り「人間の現実離れ」が多くて、物語を作る側にとっては大変です。野球でどれだけ設定盛っても大谷選手に勝てる気がしないし、ボクシングでどれだけ設定を盛っても井上尚弥選手に勝てる気がしないし、将棋なんかプロの作家が「現実にまけるな」と言われてしまう始末。
まぁ、ポジティブな方向に「現実の現実離れ」が起きるのは悪いことではないとは思いますが、ここ数年、長年架空戦記モノを読んで育ってきた人間として、「そこで現実離れするのは勘弁してくれ」のオンパレードです。
架空戦記モノを書き始めるには、ここ半世紀で考えうる限り最悪のタイミングだとは思いますが、物書きというのは「書いてみよう」と思い立ったら止まらない止められない生き物なので、最新状況に常にアンテナを張りながら、今も次回公開予定の第2話に続くお話を書く準備の真っ最中です。
今回この作品を書くにあたって改めて見返した『機動警察パトレイバー2 the Movie』の作中で、調別の荒川はこう語っています。
『――あんたが正義の戦争を嫌うのは、よく分かるよ。かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで、歴史の図書館は一杯だからな』
『だがあんたは知ってるはずだ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つき達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ』
『戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む』
『単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?』
もう30年以上昔に公開された作品のはずなのに、この荒川の言葉が荒唐無稽ではなく、実感を持ってそう感じられる現実。
正直これを始めて観た大学生の頃にはなんともピンボケのような感覚でしか捉えられなかったこの言葉が、ピンボケ補正付きのスマホ内蔵カメラの如くしっかりと明瞭な感覚として感じ取ることができるという、『現実味のない現実』。
その感覚にも、荒川は映画の最後にこう答えています。
『戦争はいつだって非現実的なもんさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしないよ』
その『非現実』を一旦『現実』として受け止め、そこから創作という『非現実』に落とし込む。
つくづく嫌な時代に突入してしまったと、そう思います。
だからこそ、大谷選手の活躍のような話題を、我々は求めるのでしょうね。