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『東京千景』を書いてて気付いた松尾芭蕉『おくのほそ道』のこと。

『東京千景』は短歌でやる紀行文である。勿論、先行作として松尾芭蕉の『おくのほそ道』がある。あっちは俳句だが。
俳句は575である。短歌は57577である。短歌のほうが77余分にあるだけ、地名を詠み込みやすい。如何にもその土地で詠みましたな感じを出せる、土地の名前を固定することができる。浜離宮とか、東京とか。
で、『おくのほそ道』。先に言っておくが、読んだことはほぼない。なので、聞き知った印象論という非常に危険な書き方をする。それを承知で読んでいただきたい。
『おくのほそ道』では、575の中に、地名が出る句がある。松島、最上川、etc。しかし大概、地名はない。理由は575のコンパクトさで地名を入れる余裕がないから。しかし、紀行文を織り込むと、その土地で詠まれたことが分かるようにできている。
とはいえ、俳句の部分だけで、地名はある程度限定されているのであると気付いたのが最近のこと。岩に染み入る蝉の声、なんて、山寺でないと成立しない。平地では意味不明になってしまう。だから、静けさを詠んだだけでそこが山寺だと記載、限定されたも同然なのである。
夏草や兵どもが夢の跡も、夏草が生える草原を要求する。そこが関ヶ原である(少なくとも草原が広がっている土地である)ことが暗黙の了解で自明となる。自明となった瞬間に575に関ヶ原と地名を詠み込んだも同然となるのである。
『おくのほそ道』には、当然俳句ゆえ、季語が詠み込まれている。季節は限定されている。だがしかし、同時に、地名も、暗に詠み込まれ、限定されている、という事実に、私は『東京千景』を書いたことで気付いたのである。
ただ、それだけのことなのだが。

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