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第47話に登場するコジモ・デ・メディチとピエルフランチェスコ・リッチョは実在した人物です。
需要あるかどうかわかりませんが、せっかくなのでこの機会に簡単な紹介を載せておきますね。
(とはいっても大体のことはWikiに書いてあるので、ここではマニアックな紹介を^_^;)
◇コジモ1世・デ・メディチ(1519-1574)
(Wikipedia日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%83%A21%E4%B8%96 ルネサンス史では「女傑」として有名なカテリーナ・スフォルツァの孫。7歳で父親を亡くしたあと母マリアによって育てられますが、家は貧しく、借金していたようです。
(父ジョヴァンニは戦場で片足に砲弾を受け、膝から上を切断→敗血症で死亡という壮絶な最期)
若い頃はくすぶっていましたが1537年に17歳でフィレンツェ公の地位につくや冷徹な切れ者ぶりを発揮し、持ち前のセンスと野心によって国際政治の舞台で頭角を現していきます。
妻のエレオノーラ・ディ・トレドはナポリ総督のスペイン人の娘ですが、政略結婚が普通だったこの時代の王侯貴族には珍しく、恋愛結婚でした。(///∇//)キャー
仲のいい夫婦で、愛人はつくらなかったらしく、事実、結婚後は婚外子は判明している限り1人もいません。それも当時の貴族では珍しいことだったようです。
教養はなかったようで直筆の手紙がスペルミスだらけなのは萌えポイントです。
晩年コジモに仕えた彫刻家のベンヴェヌート・チェッリーニは自伝の中で彼を気分屋で扱いづらい君主として描いています。
◇ピエルフランチェスコ・リッチョ(1490頃-1564)
(肖像画有り・イタリア語)
http://www.eresie.it/it/Riccio.htmコジモの家庭教師で、彼が幼い頃にヴェネツィアに赴いた歳も同行し、その後は宮廷家老として事務を取り仕切りました。生涯に渡ってコジモに忠実だったと言われています。
(↑のリンクの解説によると聖職者としてのキャリアも積み、ラテン語とギリシャ語に堪能な教養人だったらしい)
美術品の製作に関して宮廷芸術家と交渉する役目も負っていました。
前述のチェッリーニはリッチョが嫌いだったらしく、何度も彼を「阿呆」呼ばわりしています(笑)