拙著『感性を溶かしたら”わたし”が出てきた話』に、レビューを頂戴しましたので、ご紹介させていただきます。
心より、御礼申し上げます。
■木山喬鳥 様
『み ん な 違 っ て み ん な い い わ け も な い』
https://kakuyomu.jp/works/16818792438065208400/reviews/16818792438107971010物語に対する鋭いメスのような視座と深い洞察のノートがウッディに薫る木山喬鳥様のレビューです。
まず、私は木山様が大好きです。
木山様はよくご自身のことを、誤解されがちである、被害者の会がきっとできているのだ――
そんな風に嘆かれる、非常にユーモアのある素敵な紳士です。
そして、そのエッセンスがこのタイトルに詰まっております笑
木山様の誠実さに敬意を表し、正直に言いましょう。
見る人が見れば、これは挑発的なタイトルかもしれません。
でもご安心を……私のエッセイに炎上力はありません笑
それでも誤解を恐れず、政治性も欺瞞も、支配性のかけらもなく、誠実にご自身にとっての現実を、心の地図を差し出してくださる。
それが私が、木山様を好きな理由です。
交流させていただいている範囲では青山 翠雲様にも通底するものを勝手ながら感じておりますが、このタイトルはまず問いとしての要素こそが本質だと感じました。
その上で言うのであれば、「みんな違ってみんないいわけがない」
だからこそ、〝わたし〟が生まれ、〝私〟が書き続けているとも言えるでしょう。
この、ニッチなエッセイが生まれた必然を、あるいは逆説的に照射してくださっている。
そういう捉え方も、できるかもしれません。
>正直に言います。
>私には、よくわからない事柄です。
>言うに言われない衝動を言葉にする方。
>そんな方の呻吟のエッセイです。
実際、このレビューで木山様が語ってくださっているのは、この言葉通り、分からなさの受容です。
それは、理解や共生のための、もっとも大切な第一歩に思います。
肯定でも否定でもなく、まなざし、レビューとして風にのせていただけるということ。
これも得難いことです。
唯々、証明可能性の高い「現実」に安住するだけの方であれば、私のこのエッセイにせよ、同様にレビューを書いてくださった亜咲加奈様の情熱的なエッセイにせよ、見て見ぬふりをするか、否定なさるかもしれない。
それを木山様は、ただ真っ直ぐに見つめてくださる。
だからこそ、私のような人間は、改めて自分の立ち位置を確かめることができる。
木山様のような方がいてくださるからこそ、私は論理と情動、それぞれの現実の境界に棲むことができる。
そうやって、レイヤーを繋ぐ。世界を繋ぐ。
つかず離れず……ネコ科の生き物みたいに。
拙作『おかしな噺』に木山様が寄せてくださっているコメント、面白いですよ。
ご興味があれば、是非。
あらためて、本当にありがとうございました。
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木山喬鳥 様のご作品、『物語分解図』『物語配置図』などエッセイも興味深いのですが、『木山怪談抜書』が私は特に好きです。
コメント欄での木山様の理知的で丁寧なお返事もお人柄が窺えますし、まず知的好奇心がくすぐられます。
ご興味のある方は、是非ご一読を。
■木山喬鳥 様のホームはこちら:
https://kakuyomu.jp/users/0kiyamaそれでは、また。