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書きたい作品

の話を書きました。

作品の重量と「書きたいもの」
https://kakuyomu.jp/works/16817330664681347529/episodes/16817330667957643643

皆様は伊草と似たタイプでしょうか。それとも全然違うタイプであられるでしょうか。

どんな作品が書きたいですか。
読んでも見ても効かない刺さらない気が散るばっかり、でもあてにしたい。
そういうタイプ全体に……とはいかないまでも、そう感じている青少年ぐらいには刺さるものを書きたいなと思う伊草でありました。

6件のコメント

  • 重量級わかるわかる!
    ホロウライトはズッシリ重いのに、透明で底知れない物体Xって感じがします。

    私も読みたいものを書いてる(書けてるとは言ってない)派です。
    せめて自分は、永遠に自分の作品の読者でいたいので、読みたくない題材はチョイスしていないつもりです。
  • あっ、ほんとですか!?
    それはうれしいなあ……。しみじみ嬉しい、しみわたるお褒めの言葉……。

    (書けてるとは言ってない)わかってしまう……。
    もっとやりようはあるのかもしれないが! わからない!!
    「これ作者が好きで書いてるな!?」が伝わる作品、実際好きになってる気がします。月子さんのもそれなんだ。
    その人にとっての大事さというやつが、「指針としてのまぶしさ」を伝えてくれてるのかもしれません。
  • こっちに書くかコメントに書くか迷ったんですが。

    正直、主張されるところの重量感というのがイマイチよくわかってない気がするので、勘違いしてたらすみません。
    「文章の重さ」「物語のボリューム」という話だと受け止めると、それは引き算を覚えるのが近道なのでは、と思います。前も言った気がしますけどw

    おっしゃられてることを他で例えれば、「自分の好きな花を束ねまくった花束」とか「大好物を盛り合わせたメガランチ」みたいな話ですよね?(違ったらすみません) それはもちろん好きな人は好きでしょうが、そこまでいらない、という人の方が多くなるのも当然かと。私も次郎系はよほど空腹でないと敬遠しますし。

    「次郎系の客をもっと増やしたい」となると、女性向けに少量メニューも用意するとかが順当じゃないですか。
    もちろんボリュームの魅力はなくなりますが、ボリュームに関係ない魅力を押し出せば、十分売れるはず。何ならよりボリュームを求めて本来の作品を読んでくれる客もいるかもしれません。

    書きたいテーマなり表現なりがあるのは私もそうですし、そこは譲れませんが、それはそれとして読みやすさを意識するのは大前提だと思っています。読まれなければテーマもへったくれもないですから。

    ボリュームと引き算というと相反する感じですが、テーマで言えば
    余計な要素を間引くことで際立たせられますし、やりたい表現にしても、推す部分を目立たせるため、他はあえて地味に書くというやり方もあります。

    私なら花束は一番好きな花を中心に、それを邪魔しない地味な花を配置しますし、メガランチは皿を分けるか、取り皿をつけます。

    デザインはじめ、あらゆる創作で言われる基本的な手法だと思うんですが……やはりボリュームは大前提なんでしょうか。
  • >カメムシさん

    こんばんは! コメントありがとうございます。

    重量級、という話なのですが、自分が理解した限り大きくは二点ありまして。
    一つは書きたいテーマ等、内容が重量級だという点で、もう一つは文章が重量級だという点でした。
    また、ここでいう重量級は過積載と区別して使われていまして、過積載にならないよう、テーマの要約や文章の軽重使い分けは気を抜かずに行くといいかもね、というのがその話のオチになっていました。

    文章の軽重使い分け、の話はカメムシさんが仰っていることそのままだと思われます。で、過積載というのもニュアンスはカメムシさんが仰っているものと恐らく近く、メガランチの例えに相当するのだろう、と。

    踏まえまして、今の自分の書きようがメガランチになっちゃっているかどうか、という点についてです。
    復帰前は疑う余地もないと思って検討してなかったんですが、最近は反対側(短くはないけど普通に面白いと診断する側)からも積極的に位置づけを探っとこうとなって、目下審議中なのでした。

    理由の一番は「これでいいんじゃない? 磨く(減らす)余地はそりゃあるんだろうけど、過積載、基礎基本がなってないと卑下するほどではないでしょ。全然面白いよ」という向きの意見が結構あったにも関わらず、軽んじて失礼を働きすぎたことでした。

    基礎基本常識とされた定説に従うことこそ、自分を甘やかさず適切に矯正する道であり、正しい成長のための選択である、良薬口に苦し、という見方はとても大切だと思っております。
    が、甘やかしや、小さい狭い内輪でのイキリ耽溺や、誤ったイタい逃避をやってしまう可能性などを恥ずかしがって、「いや面白いって。言うほどゴミじゃないって」のお声を聞かなかったことにし続けるのもまたいかんだろうという……。

    であるため、減らしについてはカメムシさんのお言葉を筆頭によく覚えておいて、反対側、からの自分の現在地位置づけも安定するようになってから塩梅を見て反映させていきたいと思っております。
  • ふむふむ。確かにそれも大事ですよね。
    いっても、小説の正解は一つでないんですし。次郎系でも一定以上に客がつくなら何も間違いではないわけで。

    いずれにせよ大事なのは、誉めてくれる人がどこを良いとして、どこに問題がある(可能性がある)か、という分析かなと。
    まあ「現状で全く問題がない」という人もいるでしょうし、それが多数なら改善する必要がないとも言えますしね。
  • 間違いなく、減らし自体はした方がいいようなんです、色々感想を集めるに。あとはそれをどう斟酌して、いい具合に適用するかだと。

    「成長したい、よりよくなりたいと思うのはいいけれど、さすがに今の姿勢は主体性がなさすぎてどうかと思う(厳密には主体性を抑圧しすぎている)」とも言われていて、それを一度重く見ている時期なので上記の返答になったのですが、カメムシさんが下さったご指摘自体は要斟酌、要適用の内容と感じております。

    喫緊の課題は「主体性を抑圧せず、かといって成長の機会をダメにし過ぎないご意見の捉え方」なので、こういう記事が多くなっておりました。

    改めて、コメントありがとうございました。
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