作品の重量と「書きたいもの」
すごい偶然なんですが、自分には書籍化・アニメ化、海外展開まで到達したプロ作家のゲーム仲間がおります。
フットワークがとにかく軽くて、「ああ書いたの? 見る見る!」と仰って下さるありがたい方で。旧版執筆中に書きかけだったそれを見てもらったところ、「伊草さんのは重量級だね」と所感を頂いたことがありました。
当時は「文章が長いってことかな」くらいにしかわからなかったんですが、電撃大賞の入賞作を拝読していて「こういうことかな」と少し実感が湧くようになりました(当社比)。
「書きたい」と感じるものが全般に重い。またはそれ自体は別に重いわけじゃないのかもしれないけれど、思いつく描き方がとにかく長い(重い)。
例えば、テーマなら「踏み込んだところまで語りたい(話せば長いをやりがち)」。
描写なら「空気感、雰囲気を出したい(書かなくてもいい文面を足してしまいがち)」。
そういうものが書きたいんです。
言い換えると、「人生に取り込んで指針として使えるテーマ語り」とか「一部なりとも確かに現実を描いているに違いないと感じるもっともらしさ」とか「この作品から採った指針を使いたい、と感じるような魅力」とか、そういうものがあるタイトルが書きたい。
理由は多分はっきりしていて、小さい頃の自分がそういう作品を切実に求めていたから。
そして何なら今でもそういう性根は変わっていなくて、そういうフィクションをこそ読みたいと感じているから。
哲学だなんだの研究書も読むし好きだけれど、娯楽ベースのフィクションからしか得られないような賛美感やら称揚感、「人生謳歌したくなってきた!!!! 感」やらは自分にはすごい大事で。だからフィクション、いい。フィクション、多分必須。
けど読む側としてはもうなんだかダメで、色々引っかかって没入しづらくなっちゃって、だから書こうとしている。そういうことなのかなと考えたんです。もしかしたら「ないから作る」派閥なのかも。
そんなタイプがどのくらいニッチなのかわからないのですが、超多数派ではなさそうなことはわかる。
フィクションをたしなむことが人生の中心になっている、いわゆるオタククラスタのメジャーな一タイプと根っこはきっと同じだと思うんですが、冒頭の言葉を使うなら「重量級」の位置にいる。
「たしなむじゃない、依存してると言っていいくらい」というスタンスの読者はきっと多数派だけれど、「ちょっとやそっとじゃ効かない」を併発してる読者は(賞の受賞作を見る限りでは、多分)最大多数とかではない。
だから、世間にお話を送り出したいなら多分、そこに隣接しているか近くに位置している大きいパイを見つけて、上手くそちらの美味しさも盛れるようになるのがいい。そうしてくことが「重量級」の育て方の一つコツになるのかなと。
「長くなる話を長くしない」とか「余分な文を足さずに満足できる書き方を見つける」とかの努力も必須だとは思うんですけども!! けどもね!!!!!!
直せるところは直すとして(例えば独自用語の説明が遅いとか)、「一番はこの層に書きたい」というのは多分そう変えられないし、変えて面白くなるものでも恐らくない。してみると、動かせない「この層」の近隣をよく見回すことは死活問題だな、と思った伊草なのでした。
この辺、わかったら見取り図みたいな文もちょっと書きたいな、と思っています。
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