文体と、文章の中身

本当に少しずつなんですが、第30回(最終選考の結果が出ている最新の回ですね)の電撃大賞で大賞をとられたfudarakuさん著『竜胆の乙女』を拝読しています。


これまでの拝読作とはまた毛色が違って、文学作品をめくっている心地になる硬めの文体。

一方で中身はレーベルに合わせ調整されてもいて、ラノベが取れる色々なフォームのひとつを拝見しているなあと感じています。


作品そのものから得たものの話はまた読後に記すとして、今回は関連して「あっ」と思ったことを。


前述しているかもしれないのですが、自分は冲方丁がSFを書く時の文体が好きで(ラノベの「シュピーゲル」シリーズを書くときに使ったクランチ文体も)。

一時期エセのクランチ文体で書いてた時期もあったくらい、影響を受けています。


結果、「文体が課題含み」とご指摘いただくことがしばしばあり。

この辺りの調整については長いこと試行錯誤を繰り返してきました。


それについて、『竜胆』をきっかけに一つ手がかりを得たように思ったので、そこをまとめてみたく思います。

自分の文体はヘンですが、そうでない王道の文体を使われている方にも、もしかしたら役に立つかも、と思い……。


以下内容です。


■三行要約

①時間を進める(場面を進行させる)文章と進めない文章の間には割合調整の余地がある

②時間を進めるのは主に行為の文章で、進めない主なものには形容と思考の文章がある

③形容はニュアンスを、思考はキャラクターを掘るが、行為をないがしろにしてはいけない


■補足的詳細

①と②の説明をするために、三種類の文面を引いてみます。



――A――

 柱の陰で器械が作動した。バロットはそちらに銃口を向け、ボールが発射されたときには撃っていた。ボールが弾丸の軌道に入ってきて、吸い込まれるようにして貫かれた。

 バロットは歩き、左右にボールが乱れ飛んだ。その全てを弾丸で貫いた。ドクターは器械の動作をどんどん速めてゆくが、バロットは一定の歩調を保った。

 いったん壁際で止まり、来た道を戻った。右手でもウフコックを操作スナークし、左手と同じ銃を現した。右と左と。より早く、的確に狙えるほうでボールを撃ち抜いた。

 バロットは歩きながら目を閉じた。肉体の全てを意志のもとに把握することで安らかな恍惚感があった。歩調は穏やかだが、気持ちは踊り、はしゃぐようだった。

 バロットは目を閉じてからも一発として外さず、逆にドクターからは笑顔が消えていた。

「僕は何をすべきかはわかる。でもは……まさか、これほど銃と彼女が

(冲方丁『マルドゥック・スクランブル The 1st Compression─圧縮 〔完全版〕』早川書房、2010。電子書籍版であり、2010は定本発行日)



――B――

 同時、俺は動いた。

 どきゅっ!

 体重をかけた踏み込みの瞬間、足元のコンクリートが音を立てて砕け、全身が急加速。糸の大矢を撃ち放とうとしていた蜘蛛に向け、一直線の突撃を開始する。

 ばしゅうっ!

 一拍遅れて、小ぶりな槍ほどの大きさを備えた死の暗絹色ダーク・シルクが発射された。狙いは胴、命中すればどうあれ即死。

 だが軌道は読めている。行動を起こすべきタイミングも。

 ぱきっ!

 足下、再び地面が砕ける感触を合図に俺は跳躍。背面跳びの要領で大矢を回避ヴォルトし、糸引きの射手へと肉薄を果たす。

 きり、きりり――。

 接触の刹那、振りかぶった右手の刻印が無機質にき、暗色あんしょくの闇に白光びゃっこうを閃かせた。

 迎撃のために繰り出された前脚は一瞬遅い。二連刺突をかい潜り、軌跡を右掌みぎてのひらが蜘蛛の胴体後部へと吸い込まれる。

 直後――その異形の輪郭シルエットが、光に上塗りされたかのように

《ぎぃっ――!?》

 掌の通過軌道をなぞるように噴き出した体液。その熱を背に感覚しながら、地を削って制動する。

 大蜘蛛の苦鳴には驚愕の色がにじんでいた。何をされたか予測も付けられずにいるらしい。

(「1-6.「存在は壊れる」」より。拙筆「識域のホロウライト」一章所収、 URLは https://kakuyomu.jp/works/16817330664680366899/episodes/16817330664680804637


――C――

 明治も終わりの頃である。

 先代の竜胆りんどうが亡くなり、娘が後を継ぐというので、私たちは腕車の到着を待っていた。

 たいそうな造りの門が開いて、車夫を務めた下男の白樺しらかばが「お着きい」と歌うように叫ぶのを今か今かと待っていたが、代わりに庭園の方から声がしたので私たちは拍子抜けしてそちらへ向かった。

「お嬢様、あぶのうございます。おやめください」

「あら、随分と心配性ね。女学校にて家事裁縫音楽木登りいずれも優秀な成績をおさめたこのわたしを見くびってもらっては困るわよ」

「女学校で木登りは教えますまい」

「最近の女学校では教えるのよ」

「そんな馬鹿な」

 私たちはぞろぞろと大広間の宴会場へと移動して、硝子ガラス窓から庭園を眺めた。

 客人を持て成すための庭園はいつ見ても見事である。赤い橋のかかった大きな池には金魚や緋鯉ひごいが悠々と遊んでおり、奥を見遣みやるとささやかながらも滝が精流を放っている。下男の檜葉ひばが毎日掃き清めるために石畳にはごみひとつなく、躑躅つつじもちなど様々な庭木の手入れもよく行き届いていた。

 しかし今はこの趣深い庭園の、中でもひときわ立派な松に、一人の娘がしがみつき、じりじりと登っているのだから珍妙だ。皆顔を見合わせて苦笑した。

「最近の女は皆ああなのかな」

「さあ、どうだか。東京ではああするのが流行なのかもしれない。金沢じゃまず見ないがね」

 藤潜ふじくぐりの問いかけに惜菫せきすみれが答えた。どちらも目の覚めるような美男子である。その隣で八十椿やそつばきが言う。

「ああ、なんだか猫がどうとか言っていますよ」

(fudaraku『竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る』KADOKAWA、2024、電子版。2024は定本発行日)



 どれにもここでいう、行為と形容と思考の文章が入っているんですが、割合の感じがぜんぜん違って。

 行為の大枠を抜き出すと、


A:主人公がボールを拳銃で撃ち抜きながら試験エリアを歩き往復する。ドクターが驚く

B:主人公が怪物に向かって攻撃を避けながら近づいて攻撃する。怪物が悲鳴をあげる

C:主人公が木に登り猫を助ける。腕車を待っていた家の人々がそれを見、喋る


 焦点の合わせ方(強調したい度合い)の問題もあるとは思うんですが、Bだけまあひどい。

 Aは形容と思考が削ぎ落とされていて、にも関わらずニュアンスや〝平然〟の感情を伝えている。結果、短い文章でシーンは進行している、一定分量。

 Cは主人公と周囲の人々、それぞれの時間が進んでいてシーンの進行量は結構なもの、でありつつ説明(≒形容。どんな場所、どんな時代、どんな雰囲気、をまとめて修飾と捉え押し込めるなら形容)と思考(≒台詞)もきっちり突っ込んであり、一定字数あたりのシーン進行度はAとあまり違わない。

 Bはほんの一瞬をスローモーションで描いたような具合になっている。一定字数辺りのシーン進行度はA・Cと比べるべくもない。アニメの字起こしのよう。効果音(≒形容。動きや出来事などの詳細なニュアンスを伝える)などが大半を占め、思考は少しだけ。つまり比率で言った時の思考の割合が少ない。形容>行為>思考の順で少ない。


 つまり、BはA・Cよりも進行させてる時間が短いのに字数は使っている。

 Cがきちんと盛っているような思考も、Bには少ない。形容だけでほぼ紙幅を使いきっていて、三種盛りにはなっていない。とにかく形容で字数が赤字。

 この赤字のせいで、字数辺りのシーン進行度がまずい以外にも、「行為:思考の比が行為>>>>>思考となってしまい、要は動きが淡々と描かれるだけになる」が発生している。


 これは実際、書いてて実感があるんです。

 シーン進行を手早く進めなければ字数が際限なく増え続けるし時間が動かなくて退屈になる、のでもっと進めないと! といつも意識している。

 たぶん、「字数あたりに一定量〝行為〟を描き込まなければ退屈がおきる」ということと、「形容を入れたくて入れている間に字数が圧迫される」が合わさって、「思考(反応、感情)の書き込みをあきらめ、切り捨てる」が起きてるのだろうなと。


 ご指摘頂いていることの中に「一人称でなければならない感が少なく、三人称でいいのでは感がある」というのがあるのですが、そうしたご意見を頂く原因の一つがここにあるのかなと感じました。


 皆様はこの辺りのバランス感覚、ご自分ではどのように感じて&処遇されていますか。

 さしつかえなければご教示くださいませ。

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