後ろの潅木からがそごそと揺れる音がして、振り向けば、月光を浴びながら幽然と光っている眞白な影が視界に入った。そしたら、凄まじいスピードであれは迫る。怯えた少女は血相を変えて逆方向へ走り出したが、あれは数倍の速さで追って来る。間もなく、追いつかれた少女は手足を地面に抑え込まれ、心を恐怖に支配されるままに顔を横へ振り、じっと目を閉じながらとても細い声であれに乞うように言う。
「く、食わないで、ください……わたし、美味しくないから……」
と言いつつ、今すぐにでもあれに食われるかと思った少女の目角から、自然とひとすじの涙が零れる。
だが、時間がどれほど経とうとも、ただただ木霊する空気であった。
少しずつ恐怖が収まり、ゆっくりと、少女は目蓋を開く。
「ひっ……!」
と、またも恐怖に支配されるのであった。
彼女の目に映ったのは一匹の、白く巨大な大狼。翡翠の如き両眼は深淵を覗くように緑の光を自分に向けている。
「これ、何?化け物?」
と、少女は冷えきった声を出し、食われる心配をしながら、自分を抑え込んだ大狼の大きな足からなんとかして抜け出そうと手足に力を入れて足掻いている。
だが大狼は離しもせず、食いもせず、ただただ少女を見詰めていた。
「わたしを、食わないの?」
——食わないよ、シロは。
問いかけ唐突と答える涼しい女性の声が空に響いた。
少女に驚く隙間も与えずにしてそれと同時に意思消灯していたロボットのような大狼は、急に電源が入ったように、足を動かして小さな体を離した。
それから誰かに場を譲るように、大狼は後ろへ数步下がって行く。
少女はそのまま立ち上がるが、ふと仰向けた先に、花びらが舞い散るように降り落ちるひとりの女が視界へと入り込んだ。女は真っ黒なマントを身につけ、魔女のような大きい帽子を被っている。だが何より際立つのは、帽子の下に蓄えている銀色の艶めかしい髪である。それは大狼の毛よりも反射がよく、月光下で眩しいと言える程輝いている。
(「綺麗……」)と思った少女は彼女に見惚れてぼうっと突っ立った。
——よいしょっと。
「ごめんねー、シロ。追っ手の連中に手間取らせっちゃった♪」
着地した女は少女の方へと足を踏み出しながら、大狼に向かって軽い口ぶりで言ったが。彼女のそういうのところを特に見慣なれたようで、大狼は何もして返さないまま、腰を下ろし、地面に伏した。