13回目です。
4月…もうすぐ春ですねなんて言ってたら春になってるわけですが、余り春っぽさを感じることも無かったり…
どうもこの季節、苦手です。
桜が咲いていれば「あぁ、春だな」って思う程度で、後は薄汚い季節だと思っていたりして。
小説の方は、予定をちょっと下方修正していて…
「僕は霧中で嘲笑う」→4月完結出来なさそう。多分GW中
「令和宵闇無頼道中」→これは予定通り行けるかも
「アカシックレコードの管理人シリーズ」→遅れてる(´・ω・`)
ってな具合…現実で色々ありましてね…
思った通りに創作出来ない状況だったりします。
さて、ここからは何時も通り「話題」を…と思っているのですが。
今日の話題は「ディストピア」について。
ディストピア…皆さんどう定義されています?というお話。
Wikipediaさんはこう言ってます。
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『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によるとディストピア作品は、現代の問題点が未解決のまま放置されると近未来はどうなるかという関心から多く生まれた。その代表例には『すばらしい新世界』(1932年作)や『1984年』(1948年作)があり、共通点は、人間解放を約束したはずの科学が逆に巨大な管理社会を生み出すという悲観的未来像である。主題は「自由の抑圧」であり、
「目に見えない独裁者の支配」
「怪物的な官僚システム」
「性愛のコントロール」
等が批判的に描かれる。形式はSF(近未来小説)的だが、その底流には冷笑的な現実批判が一貫している。
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とのことで、自分的にディストピアの教科書だと思ってる「1984年」はまさにその通りな世界になっていますね。
それらの要素を「はい、そうですか」という感じで取り入れて小説を書く人も多くいるはずだと思っているのですが「ちょっと人と違う要素を取り入れてるぜ」的な感じの、天邪鬼みたいな人達はどんなディストピアを想像するのでしょう?
それが今回の話題にしたい部分です。
自分はこう考えてる…というか、この考えをベースに広げていくってのは持ってます。
自分の考えは単純で、「ディストピア」は「ユートピア」の対義語…という事は理想郷の反対…つまりは「理想とされる何らかの事象」に対してトコトン抑圧的な世界であれば十分に「ディストピア」と言える…と言うのもの。
その「理想」部分が何で、それがどのような形で「抑圧」されているのかさえはっきりしていて、それが一種独特な世界観を構築しているのであれば、それはもう「ディストピア」って言っていいのではないかと思います。
現実世界も、誰か彼かにとってみれば「ディストピア」でしょうから…
この辺りの解釈は十人十色、人それぞれで良い部分だと思うので「俺はこう捉えてる!」ってのは幾らでも出て来る所でしょう。
「ディストピア」モノ…偶には色々な人の「抑圧された」世界を覗き見て、異世界情緒を感じるのも良いのかもしれません。
この後、企画でも立ち上げてみますかね。
今日はこの辺で…
それでは
また来週