定期的に掛け算順序の話が話題になりますけど、俺はアレに関しては強く否定派ではないんですよ。って言うのは、「掛け算は交換可能なのに、順序を固定すんのはおかしい」って思う賢いみなさんのことは考慮してないと思うんですよ。そういう人は言ったら別にほっといても大丈夫なんですよ。いいでしょ別に一回か二回100点じゃあなくたって。
問題はですね、出てきてる数字をカンで式に落としこもってタイプの人間が一定数、これは賢いあなたがたには想像できないほどたくさん存在することで、この人たちにカンでやったらダメですよって言うのは易し、実現は果てしなく難しいんです。で、それをばですよ、検証するのもラクではないんだと思うんですよね。で、じゃあせめて、この子らがカンではなく、ちゃんと、文章の意味するところを理解して数式化していると見なせるかって言うと、求める数の方をちゃんと先に書いてる、言われた通りに、ってので判別するより他にないと思うんですよね。
これが教師がめちゃめちゃな数いて基本個別指導だとか、あるいは月収が七億円だとか、そういうことなら手ェ抜いてんじゃあねえよって思いますけども、そうではないわけで。だもんで、わかっててやってる子を傷つけるリスクを負ってでも、わからんでカンでやってる人をピックアップして、なんとかしようとする、そこにリソースを注ぐ、まあ仕方ないかなぁ……とは思うんですよね。最良ではないにせよ、そうするっきゃないんかなっては思うんです。
というくらい慈愛の心がある俺がですよ、文句を言いたいのは国語の教科書ですよ。教科書ってなにかって言うと、コメニウスに立ち返るまでもなく、「すべての人にすべてのことを」教えようとする書物じゃあないですか。国語の教科書って、正解書いてなくないです? 文法ゾーンとかは多少正解書いてますけども、物語ゾーンに関しては、文章と、あとちょろちょろりーんって問いだけ書いて、答えがない。それで何を学べっていうのよ。
英語の教科書もそうですわね。訳を書いとけよ。意味ねーじゃん。たとえばタガログ語を勉強しようと思いますよね、タガログ語の教科書買ってきて開いたら、タガログ語しか書いてない。困りません? 訳は書いとけよ。真横じゃあなくたっていいけど、どっかには、せめて。
こっちのがおかしいと思うんですけどね。どうなんでしょうね。俺がおかしいですね。すいません。