あんまり喋らない女性がいて、この言葉がまだ生きているならリケジョみたいなやつ。リケジョの概念を正確に理解していないし、理系ではないんだけど。たまに呼びつけられて飯を食うのだが、正直言って会話が弾まないのでこの人とサシで飯を食うのは少し苦手。じゃあなんで行くんだよ、というとまあ先方は「人間関係を維持する上ではある程度の期間をおいて食事に行かなくてはならない」という思想の持主であるようで、俺もそういうなんていうかなあ、人間関係のルール化みたいなやつ、構築すると楽なのは分かるので、「別にいいよそういうの」と話すことによって「これは今後の人間関係の拒否であろうか?」とか邪推されるのもめんどくさいし、大分慣れたのでまあ基本的には誘いに乗るようにしている。
というタイプの人なのだが、これが今回は全然違ったんですね。
どう違うか。良く喋る。
何を喋るか。「みくりさん」の話だ。
「みくりさん」というのをカッコ書きで書くと、なんかものすごくそういう怪談っぽいが(そう感じるのは俺だけかもしれない)、これはそういう怪談のタイトルではなく、残念ながら朝比奈みくるの第3の異時間同位体でもなく、「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマでガッキーが演じていた女性の名前である。説明必要でしたか?
でとにかく「みくりさん」がかわいいらしい。
エビを食えばみくりさん、箸が転がればみくりさん、年末年始の話をすればみくりさんだ。回路がぶっ壊れている。
とにかく猫も杓子もみくりさんだった。話を聞く限りでは、めちゃくちゃ男に都合の良い人格では、という感じがしたのでまあかわいいっていうか、しかもガッキーだったら言うことないんだろうな、と思うが、何しろこっちは逃げ恥についてはネットニュースで視聴率好調ということくらいしか知らないので、「そうですか」「よかったね」「あなたも立派な道民になった(北海道は視聴率30%とからしい)」という相槌を打つくらいしかなく、つまりすごい喋るのに結果普段と大して変わらない会合ではあった。のではあるが。
ちょっとピンと来た。それで俺は尋ねた。
「あのさあ、一応聞くけど、それはみくりさんと付き合いたいみたいな話?」
「いや、そういうことではないんです」
「そうだよね。ちなみに星野源は?」
「んー。難しいところですね。星野源自体にはさして魅力がない(星野源ファンの皆さんには大変申し訳ないが、これは俺の意見ではない上に、個人の感想なのでお許し願いたい)けど、みくりさんの夫には星野源が最適という感じですね」
「ちょっと分かる。それだ」
「どれですか」
「それがハルヒだ」
「は?」
俺はハルヒ(くどくなるのでここで一括で説明しておくが、以下「ハルヒ」と記述するときには、涼宮ハルヒ、長門有希、朝比奈みくる、キョン、古泉君、などなどのキャラクター全体とその関係性、物語世界そのもの、を指すものと理解してください)が好きだしハルヒはかわいいと思っているが、じゃあ「ハルヒは俺の嫁」という感じになるかというとそうではない。にちゃんねるに「ハルヒはキョンの嫁」というコテハンの人がいるそうだが、それにわりと近い。
つまり、自分自身とは無関係である「世界そのもの」を愛でるという気持ちが人間にはあるんですね。ここにいらっしゃる皆様はそういうことを良く理解しているものと思うが、これを一般に理解してもらおうと思うと結構難しいのである。
31歳男性が壇上に立って、「涼宮ハルヒの憂鬱はいいぞ」と演説をする。「ハルヒがかわいい」と。そうすると、帰ってくる答えは「キモ」なんですね。いやまあ気持ち悪いことは認めるが、その「キモ」には「いい年して女子高生に性欲をむき出しにしている」が結構入っている気がして、そこは誤解だと言いたい。いや何が誤解で何が正解かは俺にもわかってないが(世界そのものを愛でる、という発想自体が気持ち悪いと言われたら返す言葉はない)、以前「高校生活がくすんでいたからそういう高校生活が送りたかったってこと?」みたいな頓珍漢なことを言われたので、説明が面倒くさくなっていたのである。
しかしガッキーがこの相互理解を断絶させている高くて厚い壁を砕いた。
「そのみくりさんに対する気持ちが、俺がハルヒに抱いている気持ちと大体同じだ」
そう俺は言った。
知人は少し考えて、
「なるほど」
と答えた。
「分かる気がします」
と。
いやあびっくりしましたね。俺はぱちんこから入ったので、ハルヒにハマったのは去年の2月。だから筋金入りの人に比べれば期間は極めて短いが、それでもほぼ丸2年、ハルヒの魅力を語ってきたが、そもそも俺がハルヒに対してどういう感情を抱いているのか、すらも正しく伝えることが出来ていなかった。あきれたような目をされて。そうやって俺は絶望の淵に立ちながらカクヨムに登録し、そこでなんとか絞り出すように自分の思いを発露してきたのは、ここまで俺の言動を見てきた皆さんには良くお分かりのことと思う。現実というものを拒絶し、現実というものに絶望しながらですよ。
それが通じたんですよ。ちょっとした奇跡だと思った。
その奇跡を齎したのは何か? そう。ガッキーである。
俺は思った。ガッキーのかわいさは、世界を救う。
ガッキーのかわいさによって人間の相互理解が進み、いつか俺たちは手に手を取って相互の「愛」を認め合い、尊重しあう世界が訪れる。俺はそういう未来を確かにあのとき幻視した。
そういうわけで、3月末に逃げ恥のDVDセットが出るらしいので、年度明けあたりに突然俺も「みくりさんがかわいい」と周回遅れの感想を述べだすかもしれませんが、すいませんがその時はよろしくお願い致します。
メリー・クリスマス!