ポイントカードって苦手。
ってのは、人生にはただでさえ大小さまざまな悩み・苦しみ・辛さがあるというのに、ポイントカードはそれを増幅させる働きを持つからである。
ていうと、あまり深くものを考えないタチの人は、そんなことはないでしょう、ポイントカードによってより経済的に買い物をすることができ、そのため人類の未来なますます豊かに発展して行っていつの日にか世界に平和が訪れるはずです、というが、ポイントカード的なものはアメリカで1850年に生まれ、日本でも1916年にはスタンプカードが存在することが確認されているそうであるが、それから何年経ったと思っているのか、というとアメリカだったら160年、日本に限定しても100年たってて、で残念ながらそっからみた人類の未来、まあ豊か・発展は間違ってはないけど人心はみなが知るように荒廃していって、で世界に平和が訪れているとはとてもじゃあないが言えないのである。それもこれも、何もかもポイントカードが悪い。
ここで俺はみなさんに真実をお伝えしたい。ポイントカードは平和の象徴、などという主張は、嘘・ごまかし、いやもっとはっきり言ってしまえば、自由意志を失った奴隷としての自分をごまかすための言い訳なのである。
何をば唐突に、と思う人もいるかもしれないので、ここに実例を挙げて説明したいと思う。
先日。俺は街をぶらついていた。で、とある書店に入った。別に大した意味はない。本でも見るか~と思ったからである。
今や紀伊国屋とかもポイントカード制を導入しているがここもそうで、しかし、しょせん還元率は1 %。しかも500円で1ポイント、を20ポイントで100円分の金券になるという仕組み、だから端数分は損するから厳密にいえば1 %も切ってる。だったら物理書籍、買うと本棚を圧迫するし、電子書籍の方がクレジットカードで決済してクレジットカードにポイントためて、でなんとかコインとかで還元をもらった方が圧倒的に得だし楽だし、と思っていたのではあるが、この日はなんかポイント2倍デ―だという。
で、すべて書籍は電子化すればいいかっていうとそういうこともなく、物理で持っていたい本とかもこの世にはある。電子書籍が紙書籍をぱらぱらめくる、くらいのランダムアクセスを実装してくれればいらなくなる気もするが今のところはあってもいい。それで、うーん、と悩みながら、俺は5,000円分ちょうどくらいでほしい本噛み合うか、を検討しはじめた。
っていうのは、ポイントカードを持つことによる得は、せいぜい1万円につき100円。わずか1 %。ところが損もあって、損とは何かというと、ほかのところで喫緊に本が必要になって(そんな事態はない、という人は幸せである。俺にはある。カクヨムもアクセスできない地下の牢獄に閉じ込められたりすることがあるからだ)、でポイントがためられない書店で本を買うとなると、本来得られるはずであったポイント利得が得られない、ことによって「感じる」損失は、単純に損した金額よりもはるかに大きいものだからである。
つまりポイントカードを持っていると、ポイントカードを持っている店で物を買うときは幸せ、経済的、発展的、な感覚になれるが、その結果としてポイントカードを持たない店で物を買うときに不幸・非経済的・退廃的な感覚が生じ、しかもこの感覚は、明らかに後者の方が大きいのであって、たとえば書店Aでポイントカードを作ったら最後、もうその人間は書店Bで本を買うことは許されない、完全なる傀儡・精神的奴隷になりさがるのである。
現に俺は、ローソン以外のコンビニエンス・ストアがすべて全滅しても一切困らない(セイコーマートだけちょっと困る)心持になっており、それはなぜかというとポンタカードに俺は身も心も捧げているからであって(というのは、ポンタカードに貯めたポイント、というのは、Loppiで結構な品物と交換可能で、たとえば30ポイントとかでカップラーメンと交換できたりするからだ。最近はカップ麺、ほぼ食べていないが、たぶんやろうと思えば1000ポイントもあれば一か月飯が食えると思う)、まあこれはちょっと遠出したらセブンイレブンしかなかった、という極めて限定的な状況以外は大体どこにでもローソンがあるから困ることは少ないが、しかし囚われている、ということは確かなのである。
囚われる。
それこそがポイントカードの本質で、でこの事態に対抗するには三つの手段がある。
一つ。ポイントカードはよく行くところでは作る。けども、よく行かないところ、に入ったときは、他店のポイントカードのことは一切思い出さない。忘却の彼方におしやる、という手段で、しかしやはり人間は悲しい生き物、忘れようっつって忘れられるなら誰が復讐なんてするかね? ということで、この手段は非現実的な空理空論であるということがわかる。
二つ、ポイントカードが存在するすべての店でポイントカードを作成する。いわばポイントカード原理主義者的な考え方で、この方法であれば、理論上は「損失」はほぼ発生しない。大体一か所でポイントカードを発行しているような業種は、ほかの場所でも発行しているわけで、例えば書店、コンビニなんかは独自のポイント制度大体やっているので、各地でポイントカードを作って、ちょっとずつポイントをためるが宜しい。
これは一見完璧な理論に見えるが、実はこの理論には穴があって、一つは悲しいかな、人間の生は有限であり、ポイントカードの期限も有限であるものもあることである。ポイントの分散によって使用可能な状態までたまりきらなかったポイントカードを年末に涙をこぼしながら裁断する行為、非常な辛みがあり、人生というものをかなぐり捨てて出家をしたくなるほどのものである。俺も実際、なんどかした。出家をだ。
もう一つのデメリットは、そうやってやっていると財布が肥大化するということで、体が肥っているのに財布まで肥らせているともう何がなんだかわからないし、ポイントカード? あったかなあ。えっと、あー、こっち、じゃあなくて、ううーんと、ってレジでぐだぐだやっていると後ろの人間が舌打ちをしてきて、慌ててああ、やっぱいいです、なんて言って千円札を出した、つもりが一万円札を出してしまい、でお釣りの多さにわたわたとして、しかもポイントカードを漁ったものだから不揃いになっている財布、に金を入れにくく、手元が震えて、結果むきゃあ、となって受け取った札をばらまき、「てめーらちょっと待たせたくらいでうるせえんだよ、この時間貧乏人が! そらおめえの待ち賃だこのやろう。ぐだぐだぬかすんじゃねえよおら拾え、拾って待たせていただいてありがとうございました、って言え! したらその札やるからよお」みたいなことを言い放って暴れることになり、まずこれはポイントカードで得られる得、よりもばらまいた札の方が損で、しかも良くて半殺し、悪ければ地下牢に投獄されるのは目に見えている。
ではどうするべきか、というと三つめの手段で、それはポイントカードを作らない。そもそも。ポイントカードをいったん、作るからこういう悲しみが生じるのであって、すべては空、ポイントカードなど存在しない。と割り切って、ありとあらゆるポイントカードの作成を断ってしまい、このようにポイントなどない、と悟ってしまえばあとは楽で、財布も膨らまないし、損失をくよくよ気に病むこともない。ポンタカードはGEOと提携したからしょうがない、DVDレンタルのためを割り切って作った。他にはポイントカードというものは存在しない。そもそもこの世に。
これで万事解決、俺も大人になったなあ、というとこに、何の話をしていたかというと、ある書店でポイント二倍の日、というのがあったということなのである。
で、本の中には、電子書籍で内容を確認でき、さまざまな媒体で読めればよい、というものと、物理的に所有し、ランダムアクセスをしたりふせんをはったり折ったり舐めたり匂いをかいだりしたい、というタイプの本がある、ということはここにいるみなさんはお分かりのことと思うが、まあじゃあそういうの、買ってもいいかなあ二倍なら、と思ったのである。
というのは、大体5000円ぴったり本を買う。100円券がもらえる。それを使ってもう一冊本を買う。でこれが500円以下の本なら、たぶんポイントは発生しないだろう。オッケーオッケー。ポイントカードを入手せず、純粋に割引が発生する。だったらいつ買うのか? 今でしょ。
流行語というのは罪深いもので、新たな言葉を世に生み出す、というのを「功」と呼ぶとすれば、その後その言葉を完膚なきまでに殺戮する、というのが「罪」で、で、罪深いと言っているからには俺はこの「罪」の方が重いと思っているのである。
それはさておき、その完全な計略のもと、まず書籍を5000円分購入し、ポイントをため、次に雑誌でちょっと入手したかったもの、を購入した。満額のポイントカードを差し出して。ちょっとドヤ顔をしながら。
したら。
100円引きで、280円とかだったと思う。んだけど、店員が、お釣りとレシートに合わせて、2ポイント押してあるポイントカードを渡してきたのである。
もちろん俺は言った。
「俺は結果的に280円しか買い物してないので、ポイントを押される道理はありませんよ。ましてや2ポイントも押してしまっては、この店は破産の憂き目にあいますよ」
と。
そしたら店員の女の子、てへ、と照れ臭そうに笑ってこう言った。
「あ、ほんとだ。でもサービスで!」
この状況で、「いや俺はポイントカード修羅道からの解脱を果たした【目覚めた人】であって、今回ポイントカードを用いたのは完全に冷徹な計算に基づいたものであり、今後この店のポイントカードを所有するつもりはないしむしろ邪魔、俺の完全なる計画を邪魔したお前に今後一生幸せが訪れることはありえない」って言える?
言えるわけねえよ。
この状況じゃあなくても言えないし。そんなひどいこと。
そういうわけで、まるでゾンビのようにポイントカードが蘇り、俺の財布に今鎮座ましましている。いやこれを捨てることは簡単だ。とても簡単だ。
……そうか?
じゃあちょっと考えてみよう。このポイントカードの価値は、いくらか?
いくらかったって、0円でしょう。現段階では。
そう言える人はうらやましいですね。よく考えてみてほしい。20ポイント貯めればこれは100円になるもので、そのうち2ポイントが貯まっているのであるから、これには「10円の価値がある」と見ることも可能であろう。君らは財布がかさばるから、という理由で、10円玉を無碍にゴミ箱に捨てられるか? 無理でしょう? 通貨なんとか罪にもたぶんひっかかるし。
しかももっと考えると、この2ポイント、というのは、本来は1,000円分の書籍を買わないと貯留不可能なポイントであるから、1,000円札と同等の価値がある、と言って言えなくもないのである。
そのように考えると、もう大富豪以外の人間はこのポイントカードを気軽に捨てることはできず、財布は肥大し、そしていつか破綻をきたす。それを分かっていながら、俺はこのポイントカードを捨てることができぬ。不死の・呪われた・ポイントカードよ。嗚呼。
という話を書きました。1日から3日のどっかで思いついたんですが、3000字くらいでさらっと、のつもりだったのが、まずこの近況ノート用の文が4700文字くらいに膨れ上がり、話の方は10000字を超えてしまう難産になり、公開まで二週間近くを要する事態になりました。なんでこんなことになったんだろうな。
後半まだちょっとできてないんで、明日続きを更新予定です。