17歳の地図。いい曲ですね。俺もしがらみのこの街の中で日々、強く生きなきゃと思っていつつ、ちっぽけな心に空っ風が吹いてくるのを感じて、歩道橋の上振り返ったりしている訳で、だから未だに俺はこの歌をうたっている訳です。
ところがこれを貶す輩がいる訳よ。じゅうwwななwwwさいwwwwいいオヤジがwwwwみたいな揶揄を飛ばしてくる訳ね。
じゃあ俺だって言わせてもらうけど、その基準で批判をするならば、つまり現実の歌い手とうたわれている歌との関係性の乖離に対して文句を言い出したら、この世に「とんぼ」をうたえる人間がどれだけいるのかという話になってくるじゃあないですか。
いい歌よ。いい歌だけど、まず東京にそんな憧れがないし。何しろ北へ北へ向かったらたどり着くのは稚内だし。
でもそういうことじゃあない訳で。精神の真髄みたいなところに共感して、それにのるメロディが最適だと思うからうたう訳じゃあないですか。
だからこれが禁じられたら……と言いかけたところ、彼はR.Y.U.S.E.I.をうたいだし、これがまたなんとも捉えどころのなく、まあ天体現象の描写は風景描写だからそういうことがあったんですよ、と言われたら批判する訳にもいかず、で、誰にとっても確かに人生は一度きりではある。
ギリギリ言えるのは星空の下で仲間と夜空を見上げたことがあんのか、くらいであるが、残念ながらあるんだよなあ。まあ何をもって「仲間」と呼ぶかにもよるけれど、北海道はちょっと車を走らせりゃあ流星がさんざめく夜空に嫌でも出くわしてしまうからである。
という訳でなるほどね、なんてひとりごち、人生一度きり、DREAM、とつぶやくより他になくなってしまう。
これが歳をとるということか。まったく。世知辛いですね。
しかしやっぱり、例えば天城越えとかはここで描かれた物語をうたっているわけでね、別に山、燃やしたろ、と思いながらうたってる訳じゃあないのである。
そんな訳で、この主張はおかしいと思うので、次は15の夜をうたってやろうと思っています。盗んだバイクで走り出したことはないけどね。早く家に帰りたいですけども。歌をうたうことに資格なんて必要ないことを証明するために。ただそれだけのために。