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記憶力の喪失

自慢でもなんでもないし、むしろ障害の告白という感があるが、昔の俺は大層記憶力が良かった。どれくらいかと言うと、今自分が存在している時間が、まさに今その時を過ごしている時間なのか、それとも(その時から見て)未来の自分が想起している時間なのか判然としなくなることがある、くらいに過去を鮮明に想起することができていたくらいである。
(ちなみにこの現象は別に特異なことではなく、一応説明がつくと思っているが、話せば長くなるので文脈がない人生であったから、とまとめておきたい)

ところが人生に意味、あるいは意味だと思えるなにか、文脈が生まれると、途端に記憶力は低下し、加齢とともにそこらの愚夫よりも物忘れが激しいという状況になり、極端すぎないと思うが、何が言いたいかというと、クラピカは何をしたかったんでしたっけということである。一ミリも覚えてない。マジで。

十二支んの話はまあ覚えている。暗黒大陸も一応。バナナマン日村みたいなやつと、大工の源さんみたいなやつがいて、ジンとパリストンが共闘してたんだっけ……? くらいはおぼろげに記憶しているけどクラピカ? クラピカナンデ? 王子?

いやぁ、歳はとりたくないですなぁ(舌の根も乾かぬうちにとはまさにこのこと)。単行本を買わねば何もわからない。

とはいえ、どこで考察されていたか、あるいは「尾行日記」の設定だったかは忘れたが、バショウの能力は俳句の力を現実に顕現させるのではなく(俳諧師かよ)、たんに炎を発する能力(本人の説明はブラフ)ということでは、ということとかは蛇のように執拗に覚えており、それが明らかになったりしないか楽しみにしていたりして、つまりできるだけ長く続いて欲しいですねということです。

スクエアはまだ読めておりません。午後も頑張りましょう。

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