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簡雍!

影の薄さならピカイチ!
どの作品のどこにも記載が少ない劉備の幼なじみ。
しかし歴史上の彼は実に放蕩でユーモア溢れる人だった

それでは少しだけ彼の事を紹介しましょう

簡雍、字名を憲和。
彼の元々の苗字は"耿"であったが自分で"簡"に変えた。
一説によれば耿雍という人が同世代に沢山居たので、被るのが嫌になって自ら苗字を変えた。

自分で苗字を変えていまうところを見れば彼の放蕩な性格を垣間見える
そして恐らくこの時、彼の父親は健在していないと僕は思った

仮に父親が健在しているなら、堅い思想が蔓延る時代で苗字を変えるのは父親に対する不敬になってしまうから、父親にシバかれるのは必然だからね

ところで簡雍の放蕩さはこれだけか?と聞かれたら答えはもちろんノーです。
実は彼、劉備と話す時ですら常に胡座をかき、諸葛亮以外と話す時は相手が誰であろうと横たわっていた!
史書にはこう記載されている
"独占一榻,卧姿对话,从不屈就于人"

そして彼は饒舌でユーモア溢れる人だったが皮肉も同じく好きだった

劉璋もその点を高く買って、彼と仲良くしていた

歴史上で劉備が無事西川に入れたのも彼の功労が大きかった

しかし劉備が西川に入ってから一年が経って、劉璋は違和感を感じ始めた
"あれっおかしいぞ…ひょっとして張魯への警戒を強めたつもりが狼を入れたのか…隆中対を知らないからって舐めるなよ??"

そこから劉備と劉璋が互いに弓を引き始め。
劉備は少しずつ優勢を確実にして、二年後の紀元214年には劉備軍が劉璋を成都で完全に包囲した

そこで劉備は再び簡雍に劉璋を騙すように…説得するように任せた。
そしてその後すぐ皆の期待通り、劉璋は簡雍と共に降参を発表した

こうして劉備は益州を完全掌握した、簡雍もその功労を称えられ昭德将軍に任命された

その後、蜀が干ばつに見舞われ、食料が緊迫した状態が続いた
穀物を無駄にしないように劉備は禁酒令を出し、当然酒造りも禁止された。

そんな中、酒造りこそしなかったがある平民の家から酒造りの道具が見つかり、その平民が捉えられた

簡雍はその平民たちを助けようと近くを通るカップルに指を指し大きな声でこう叫んだ
「うわっ!この二人はこの後ふしだらな事をするに違いない!何故捕まえない!」
出処三国志、原文:"彼人欲行淫、何不縛之"

劉備は不思議に思った
「憲和、何故そんなことが分かる?」

簡雍は聞かれることを待っていたかのように答えた
「決まってるだろう、この二人はふしだらの行いができる臓器を持っている。ならば捕まえるのも当然でしょう?」

劉備はそこでやっと簡雍の皮肉に気が付き、密造酒の疑いをかけられた平民を解放した

ここまで読めば簡雍を低俗と思う方も居るだろうが、低俗でも人を救えば高尚なものに変わる…かもしれませんね

惜しい事に219年以降、簡雍の存在に関する表記はどの書物からも確認できなくなった、恐らく寿命かもしれませんね…

ユーモア溢れる簡雍でも歴史に埋もれるという事はそれ以上魅力がある武将が沢山いるという事か?

暇があればまた他の武将をも紹介させて頂きましょう🫡

2件のコメント

  • 簡雍は劉備のダチというポジションで、義兄弟以前のそれこそ劉備遊学の頃から劉備の近くにいて、腐れ縁の如く好調な時もダメな時も変わらず劉備に付き従った人ですよね。

    しかし、若いじぶんからそれこそ寿命を終えるまで変わらず一貫してダチでいるなんてすごいです。

  • 光栄の三国志で遊んでいると簡雍は孫乾、糜竺と共に初期劉備軍内政三本柱の一角というイメージですが、ようやく活躍の場が与えられましたね(数回前の孫乾もですが)。O.K.先生の説明を楽しみにしていますので、御負担なき程度に連載(笑)をお願いします。
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