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鱼腹藏书 狐鳴篝火って何ですか?
そんな質問に対して簡単に説明させてもらいます
秦王嬴政の子が二代目の帝に即位した年、漁陽の建設に向かう兵士たちがいた。
その兵士たちは運悪く連日の大雨に行く手を阻まれて期日通りに着くことが出来ない、秦の法律では皇帝の命令に遅刻すれば皆斬首の刑に処される。
隊を率いるリーダーは二人いる、陳勝と呉広である
二人は今置かれてる境遇を兵士たちに説明した
「今から辿り着いても死刑、逃げても死刑だ、なら俺らに着いて来い!」
そして二人は秦皇子扶蘇と楚国大将軍項燕の名を借りて謀反を計った。
その間に一人の占い師を訪ねると、その占い師もまた頭が切れる者で二人の意を汲み、アドバイスをした
占い師「人の心を掴むなら皆に信仰心を抱かせる事が近道」
そして陳勝と呉広はとある絹に"陳勝王"の三文字を描き、それを漁師が捕らえた魚のお腹に隠した。
兵士たちがその魚を調理する時に絹が出てくると大騒ぎになって、噂があっという間に広まった。
そしてその夜呉広もまた野営地の隣にある廃寺院で狐の鳴き声を真似ってから、「大楚興、陳勝王」と叫んだ。
それを聞いた兵士たちは皆驚いて、次の日皆コソコソとこの出来事について話した。
そこから陳勝への信仰心が兵士たちの中で根深く付いた。
そして陳勝はそれを見計らって大声でこう叫んだ
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」
これが魚腹蔵書狐鳴篝火の由来であり、ここからあの有名な陳勝呉広の乱の始まりでもある。