こんなところまでお付き合い下さり、ありがとうございます。
本編の後書きです。
子どもの頃から、動物が大好きです。
E.T.シートン(『シートン動物記』)やジャック・ロンドン(『野生の呼び声』)、戸川幸夫(『オーロラの下で』)、椋鳩十(『大造じいさんとガン』・『大空に生きる』他)、畑正則(ムツゴロウ・シリーズ)、ヒュー・ロフティング(『ドリトル先生』シリーズ)、セルマ・ラーゲルレーヴ(『ニルスのふしぎな旅』)等……人と動物たちの関わりを主題とした作品に浸かって成長した影響でしょう。今でも、どんな作品でも、動物たちが登場すると、そちらに目を奪われてしまいます。
なかでも、狼は、あこがれの動物です。もはや、崇拝しています。
物心ついた頃から、絵に描いていたのは、犬と狼でした。物語を空想し始めた頃、最初に創ったキャラクターも、狼だった気がします。
セイモアと、スレインは、私の最古のキャラクター達です。
考えたのが小学校低学年~中学生の頃でしたので、当初、彼女たちは(二頭ともメス、だったんです)『人間に化ける狼』でした。何の影響を受けたのか、まるわかりですね。平井和正の『ウルフガイ』シリーズです……。狼人間というモンスターではなく、『狼が人間に化ける話』だったのは、おそらく、人間より狼を主体にしたいという、こだわりだったのでしょう。
えーまあ……当時、大学ノート二冊ほどに書いた作品の内容は、闇に葬りました。この作品とは、全く違います。
題名と、「いつか、狼の登場する話を書きたい」という気持ちだけが残りました。ですから、この物語の主人公は、(私の中では)セイモアです。
狼の話、なんです。
彼らを描写するにあたり、生態や行動について調べ、出来るだけ正確さを目指しました。狼と犬の違いについても、書き分けたつもりです。
多少、物語の都合上 意図的に脚色した行動があります。本編第三部第五章(6)……セイモアが、マシゥを庇って威嚇を行いますが、普通、狼はこんなことをしません(本編中の他の場面でも、セイモアが唸ることは殆どありません)。ここは、ビーヴァの意図を汲んだ行動だと、思ってください。
終章で、マシゥとセイモアは目を見詰めていますが、こういうことも、本来 野生動物は嫌がります。これも、脚色です。
他に、「こんなのは狼じゃない(或いは、犬じゃない)」と思われる部分があれば、それは、作者の勘違いか誤りです。ご容赦ください。
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どうして場所がシベリアになったかと言いますと……この前に書いていた別のシリーズの最後の舞台が、熱帯の砂漠、だったのです。延々と、砂と照りつける太陽と、人間同士の戦いを書いていると、「あーもう、涼しいところの話が書きたい!」となってしまい……。マイナス50度は、いくらなんでも涼しすぎました。
それから、『掌の宇宙』シリーズで、アイヌや極東シベリア地域の先住民族について調べていた際――彼らが、過酷な自然環境で暮らしているだけでなく、他民族による惨い侵略を受けてきたことを識りました。
これまで、中央アジア圏の遊牧騎馬民族を中心に、遊牧文化と農耕文化の軋轢を書いてきましたが。その遊牧騎馬民族にも、森林の少数民族は、侵略(というより、一方的な略奪)を受けています。農耕民族による彼らの文化への無理解は、和人とアイヌの関係を見るまでもなく、明らかです。
これは、書かなければならない……と感じました。
私が集めることが出来た資料は、どれも、中世以降の彼らの民俗を記録したものですので、現在の彼らの生活とは違います。仏教やキリスト教、農耕文化の影響を排除して考えていったところ……時代設定は、古代まで遡ってしまいました。
朝鮮半島の巫女、日本のイタコは、死者の魂をよびよせて自分の身体に憑依させる『口寄せ』を行います。一方、シベリアの諸少数民族のシャーマンは、自分の身体から霊魂を離して神々と対話する『脱魂型』が基本です。「シャーマン(シャマン)」の語源もこの地方にあったことから、ビーヴァとラナとキシムの設定が決まりました。
1993年にロシア、アルタイ高原で、約2500年前の王女のミイラが発掘され、その身体に多数の刺青があったことから、母巫女とラナのビジュアルが決まりました。北海道のアイヌをはじめ、シベリアからアラスカにかけて暮らす少数民族の人々は、身体に刺青を施します。その文化と自然への信仰が、『森の民』の基になっています。
森の民の言葉の多くに、造語を入れています。暦や度量衡も創作しました。……が、やりすぎるとわけが解らなくなるので、この程度です(設定途中で、あまりに注釈が多くなったのでやめました)。アイヌ語や、エヴェンキ、ニブフ、ユカギール族の言語を取り入れた部分もあります。
イングとリングゥンの悲恋物語と、ビーヴァたちが唱える祝詞は、ニブフ族の古謡を基にしています。ニブフやナーナイ、アイヌ、エヴェンキ、ブリャート、ユカギール、チュクチャ族などの民俗を参考に創作した、架空の存在です。
農耕民族側の設定は、凝っていません。農耕民は、多くが太陽を主神としていますので、エクレイタ族の主神も太陽です。闇の神ギヤと対にし、二元論的な価値観を持たせました。「太陽神の光が選ばれた女の腹に入り、神の子が卵に入って生まれる」……というのは、朝鮮族や、日本、東南アジア圏に似た神話があります。外見の設定はインド・ヨーロッパ語族風ですが、服装や車輪をつかう文化、邑(壁に囲まれた集落、という意味)、履(はきもの)といった漢字の意味を重視して、中華風の雰囲気をまぜた架空の民族にしました。
この作品では、実験的な試みを行っています。
まず(私には珍しく)、三人称の長編です。いつもは、登場人物のビジュアルを絵に描いて決め、それを描写する……という方法なので、しつこいくらい人物の外見の描写をするのですが。『掌の宇宙』以降、控えています。読者の方に、もっと自由に想像していただきたい、と思ったので。
ですから、ビーヴァたちの外見の描写は、(私にしては)かなり少な目です……。完結まで、絵を描くことも我慢してきたので、これからやっと描けます。
人物の描写を抑えた分、風景と動物たちの描写に力を入れています(私にしては)。名前の羅列にすぎないところもありますが……。だだっぴろい草原や砂漠ではなく、雪山や川や湖や森や畑があるので、文字で書くのは楽しい作業でした。樹氷やオーロラ、氷河の洞窟、湖に映った星空など、描きたい風景をたくさん書けて、嬉しかったです。
ただ、私がシベリア地方の植生や、そこで暮らす生物種について詳しくないので、木や鳥について書く度に、「これは、あの地方に生えている木なの?」・「渡りのルートは合っているの?」と調べなければならなかったのは、大変でした。
木と書くだけで、針葉樹なのか広葉樹なのか。紅葉はするのかしないのか。陰樹なのか陽樹なのか。冷帯に生えるのかどうなのか。気になるようになってしまい……この癖は、当分続きそうです。
ビーヴァの憑依の場面は、挑戦でした。特に、鷲に憑依するとなると……猛禽とヒトでは世界の見え方がまるで違うので、困りました。勿論、狼とヒトでも異なります。拙作はファンタジーなのでごまかしましたが、ご興味のある方は、仕掛け絵本『動物の見ている世界』ギヨーム・デュプラ(創元社)などの書籍をご参照ください。
第三部に入ってから、実は、冒頭で大変なネタバレをしていることに気づきました……はい、第三部に入ってから、です。
序章であのように書いてしまった以上、結末を変更するわけにいかず、困りました。また、狩猟民族の信仰について、理解しきれていなかったことに気づきました。「ビーヴァ自身が語ってくれた」ことで、解決した部分です。
農耕こそが自然破壊の第一歩である、という事実は、里山文化を愛する一日本人としては、辛かったです。
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多くのSF、FT作品では……特異能力を持つ主人公たちが、戦って勝利を得るのが、物語の基本です。私は、ビーヴァをそういう風にはつくりませんでした。特異能力者であっても、戦わない。むしろ、人殺しに絶対の禁忌をもつ人物です。
一方のマシゥも、紛争を止め、和平のために闘う人物にしました。彼は、武器を持っていません。
当初の製作メモを顧みますと、第三部の途中までは、現在と殆ど変わりません。しかし、最初に創ったあらすじでは、森の民は、エクレイタ王の軍と戦い、滅ぼされてしまうことになっていました。トゥークとビーヴァは殺され、森の民は奴隷となり、ラナだけが逃がされる予定でした。
戦争にならなかったのは、マシゥとビーヴァのちからです。ラナとワイール氏族長が、トゥークの心を救いました。トゥークは、最後まで、作者の予定とは違う行動をとったので、彼がどう変化していくかは、書いていて興味深かったです。
これはただの理想ですが……。書いてみると、マシゥとビーヴァは、意外に「普通」でした。普通の性格の二人が、普通に友情を育て、普通に平和を願って努力した結末です。……まあ、死んで神になってベラベラ喋るところは、全然 普通ではありませんが(汗)。
多くの方の好みの物語ではないと思います。それでも最後までお付き合い下さった方には、感謝の言葉もございません。本当にありがとうございました。
作者の与太話にお付き合い下さり、ありがとうございました。
また別の作品でお付き合い頂ければ、幸いです。
2017年1月(初出)
2017年7月
作者 拝