《日本:アイヌ民族》
「アイヌ」とは、彼等が自らを呼ぶ「人間」という言葉であり、「立派な人物」・「男の中の男」という意味の尊称でもあります。人類学的には古モンゴロイド系に属し、縄文文化・擦文文化を築いた人々の子孫だと言われています。
かつては東北から北海道・サハリン・千島に広く居住していました。主に狩猟と漁猟を中心とした生活を営み、固有の言語(アイヌ語)を持っています。中世においては元と闘い、中国・日本本土とも交易を行っていました。
日本人の侵略が始まったのは鎌倉時代からで、1457年「コシャマインの戦い」(約100年間)、1669年には「シャクシャイン蜂起」が起きています。江戸幕府は「同化」政策を行い、開拓のために男性を強制労働(奴隷)に連れ出すことも行いました。
1899年の「北海道旧土人保護法」にて、土地・医薬品・埋葬料・授業料の供与が定められましたが、同時に共有地の没収・狩猟民族アイヌの農業化、主食である鮭の禁猟、日本名への改名、学校で日本語を教えるなど「同化」が行われました。
この背景には、白人の人種主義にも似た当時の日本人側の優越感、開拓こそが「文化的」であり、彼等の文化を「遅れたもの・野蛮なもの」として蔑む思想がありました。「アイヌ」という言葉さえ蔑称として用いられた時期があるため、この語を嫌がり、「仲間・同胞」を意味する「ウタリ」と自らを呼ぶ方もおられます。
1993年の国際先住民年において、先住民族であると認められました。
1997年、「アイヌ文化振興法(アイヌ新法)」が成立し、「北海道旧土人保護法」は廃止されました。彼等の文化への理解や他の先住民族との交流が進んできていますが、差別や生活水準格差など多くの問題が残っています。
アイヌの口承芸術である『ユーカラ』には、神々が自分のことを語る「神謡(カムイ・ユーカラ)」、人間の英雄が語る「オイナ」、長大な叙事詩など、各種あります。必ず一人称の形式をとります(日常的な一人称と同じではなく、雅語です。ユーカラは韻を踏み、謡い手と聞き手が拍子や合いの手を入れながら続ける、演劇のようなものです。)ので、本作品も、クマ神が自ら語る形式としました。
■本文解説
注①:アイヌの人々は、動物神は、カムイモシリ(神の国)にいるときには人間と同じ姿をして、火を起こしたり、ものを食べたりしていると考えていました。動物の毛皮や肉は、カムイがアイヌモシリ(人間の国)を訪れる際の着物であり、「お土産」なのです。
注②:生後一年を過ぎた仔グマの体重は、100kgを超えます。
注③:イオマンテはクマだけでなく、フクロウやキツネ、オオカミの神に対しても行われました。近隣の村の人々も参加します。祭司役は、必ず隣村の人物が務めることになっていました。
注④:アイヌの神謡には、こういう表現が多いです。人が動物を「殺す」のではなく、神の側が人間を選んで受け取る「招待状=矢」だと考えます。行いのよい、心の清い人間の矢は、カムイがそれを知って受け取ってくれる、という思想です。花矢を射ることで、若者は狩の練習をしました。
注⑤:「わからなくなりました。気がつくと耳と耳の間に~」というのも、ユーカラに多い表現です。肉体から離れたカムイ(神霊)は、しばらく頭の上「耳と耳の間」に留まるといわれています。
注⑥:カムイが続きを聞きたがって何度も来てくれるようにユーカラを途中で打ち切ることは、実際に行われます。
注⑦:アイヌの世界観では、人と神は対等です。カムイは、人に食べてもらい、イナウや酒で祀ってもらうことで、位の高い神としてカムイモシリへ戻ることが出来ます。
注⑧:「~と、○○のカムイが語りました」という終わり方は、ユーカラの決まり文句です。