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11月のロールケーキ

僕らはみんな、ロールケーキ……。

人生は重き荷を背負いて遠き道を征くが如しと言ったとされているのは徳川家康だ。
私個人としては最上義光や津軽為信、宇喜多直家が好きだが、世間的に見れば彼の方がよほど人気者だろう。

ロールケーキ。

そう。
ロール<演技>することというのを最近は考えることが多い。
人間は社会的な生き物だ。社会というシステムそのものがここまで浸透してしまった世界において、社会的な生き物でない立場としての人間はあり得ない。
北センチネル島にだって北センチネル島の中に社会が存在するだろう。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
と言ったのはシモーヌ・ド・ボーヴォワールだ。
彼女とサルトルの関係性については色々と考えさせられるところがあるが、どちらにせよ私はサルトルが嫌いで(そのわりに引用する頻度は多いので無性に腹が立つ)
これは私が尊敬する三島由紀夫も全共闘との対話の中で
「僕が嫌いなサルトルが~」
と言っていて、嫌いなのに引用するという先例を私に見せてくれた。

ロール、ケーキ。

演技するというのが普遍的なものであり、女は女になるというように、私も私になるのだというところがある。
文乃綴というものを演じるわけだ。
最近、とくに先月の後半はずっと長編小説を書いていて、これを新人賞に送るつもりでいる。
この作品の主人公が私よりも幾らか若い女の子なので、私は同年代の女の子の口調みたいなものを
ずっと頭の中で考えていた。
つまり、脳内で彼女をロールするのだ。
こんな言い回しをするだろう。こんな考え方をするのだろう。
そういうことを繰り返し、繰り返し、やる。
すると不思議と、現実の方の私が影響されてくる。
何か思考回路が甘くなり、実際に甘いものを食べて、そうしてその甘さに悶絶したりする。
肉体と精神の不一致だ、と言えば現代的だか単にこれは自家中毒の類である。

……ロール・ケーキ。

考えてみれば人間は皆ロール<演技>をするわけであるし、このインターネット
全盛の時代において、人間は多種多様なロールを抱えることになる。
砂糖というロール。
小麦粉というロール。
卵というロール。
全て合わせれば――つまり。

ロールケーキ!

というわけでソルジャーズ・レビューは11月3日まで毎日更新。
11月3日の時点で完成の予定です。
裏側では本当に無茶苦茶文字を書いているんですが、表に出せるかはちょっと分からない。
(まあいいじゃん)
(そうやって上遠野浩平のあとがき欄みたいにしようとするの、普通に気持ち悪いからやめような)


※この記事は本来11月に投稿されるはずのものでしたが、31日時点で完成してしまったために投稿がなされるものです

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