構成美という観念がある。
小説の構成美というとたった一行で表現し得るもののように思えるが、実際のところこの一行が指すニュアンスには二種のものがあり、つまり……
一方で
「完結したお釣りの出ない構成」
また一方で
「構成そのものが美しい」
というものもある。
この語彙、表現が指すものは単一のもののように思えるが、実際のところこれは大きく違う。
例えば推理小説、ミステリというジャンルが存在するが、これはお釣りの出ない構成であればあるだけ機能美とも表現し得る美しさが付随する。
反面、これはミステリがリドル・ストーリーになりえない(なったとしても難しい)ことを示唆するものとなる。
つまり、お釣りが出ない構成とは、そこに登場する人物や概念や悩みが綺麗にある結論に収まってしまうことを指し、ひいては「本当にこれで良かったのか?」というような、後を引く感覚がないもしくは薄くなってしまう。
人間は不思議なもので、娯楽として人生の足しになれば何でもいいと思う反面、後々に話の俎上にあげたくなるのは何か後悔とか、感情に動きがある”後味引く”ものであり、これは『お釣りの出ない小説』には中々そういった印象を残すことが出来ない。
最近キーワードとして出てくる『イヤミス』なんてのは、こうした”お釣りの出ない構成美”に対する一種のアンチテーゼなのではないかと私は考えているが、寧ろそうした構成美。お釣りの出ないような物語構築こそが魅力なのであって、そこの境目を曖昧にしたらミステリのミステリ足る特別性を損なってしまうのではないか?
……これも難しい話で、そうしたミステリ的な要素から小説を作り始めた人間が脱皮を図ろうとして文学風なものを書いてちぐはぐになることもある。これは脱皮に失敗した甲殻類みたいな独特な間抜けさがある反面、その感情について一定の理解はできるものである。
というわけで、仕事を始めているので更新速度は落ちますが何とかします。しましょう。