グチです。

 もともと三曹でした。

 上席からの執拗な迫害に遭い、病気を起こし、評価が下がり、その結末として士長に落とされました。

 さばかりか、その翌年、まさかの1年アウトで、1士に落とされました。

 そして去年の春、部署を変えました。

 この選択は当たりで、自分の役どころをしっかり築くことができました。



 そしてこの春、昇進が決まりました。

 人事権を持つ上司からは「士長に上がったよ、おめでとう」といわれましたが、苦笑いしかできませんでした。

 当然です、もともと三曹で、そこから這い上がれずにコンプレックスをくすぶらせていたので、士長に下げられることも、1士に落とし込まれることも、全くもって不本意だったのですから。

 そもそも僕の勤務先では、三曹なんて二〇代の後半に通り過ぎて、曹長、准尉とエレベーターで自然に上がっていくフロアなんですから、ただただ情けないばかりです。

 心から、妻や子供達に申し訳ないです。

2件のコメント

  • はじめまして
     数ヶ月前からそちらの近況ノートと小説を毎回楽しみに、拝見させて頂いています。(きっかけはからかい上手の高木さんのことを綴られていたた投稿から)

    過去の近況ノートの息子さんとのエピソードも微笑ましく、家族をとても大切にされている素敵な方だと感じました。
    私事ではありますが、父が8年前、鬱病を患い、無職になりました。その間、母が家事もしながら働いてくれましたが、生活が困窮、ケンカも絶えず、1年後に両親は離婚してしまいました。
    両親は、私の小さい時からケンカが絶えず時折、父が母に暴力を振るう時もありました。そのため、私は母の味方をしがちでした。父は、悪い所も沢山ありましたが、私と妹に対しては厳しくも優しく、よく遊んでくれました。父のことも母と同じ位大好きでした。私は、当時小学生だったにも関わらず、父が辛い時に何も出来なかったこと、感謝が足りなかったこと、本当に後悔しています。

    私が偉そうに言えることではありませんが、直接感謝出来ないにしろ、心の中では、子供は親が大切にしてくれていることに気づいていますし、感謝していると思います。現在、私と妹を養うために忙しく働いてくれている母を尊敬しています。

    本当に、長々と自分語りしてすみません。
  • oknir様

     初めまして。

     投稿してからわずかな時間差でのコメント投稿、本当に嬉しいです。

     そして私は、決して家族に誇れるような父親ではありません。



     鬱になったことで気がついた事に、「時折イライラが増進する」というものがあります。

     これ以下の話しは、いつか近況ノートでも全く同じ事を乗せようと思っています。

     当時小学校六年生の息子が、床屋にいくというので付いていきました。

     近所としては車通りの激しい大通りを渡っていくこともあり、床屋方面のスーパーなどにいく時は付いていってたのです。

     私は、心の中に「何か」を持っていながら、つまり理屈の上ではわかっていながら、倫理観に外れたことを平然とすることがいくつかあります。

     道路の横断の一つもそうで、「車が途切れた車道は、折良く横断していいんだ」と解釈してそれを止めることがありません。

     路上に描かれた、信号の付いていない横断歩道とか、描くだけ無駄だと思っています。

     もし、自分が横断するために横断歩道の前で佇んでいたら、親切なドライバーが車を止めて、こちらの横断を待ってくれます。

     この「待たせている」というのがいやなんです、なんだか、他人様の自由なドライブを毀損してしまっているような気がして。

     なので、長男の自転車について行ってる時も、車が途切れたので「渡るよ」といってさっさと渡ってしまいました。

     しかし長男は良い意味で慎重で、(えっ今? えっ何時?)と周りを確かめているうちに、車が来てしまいました。

     その車列が右左それぞれ途切れたところで、長男は横断歩道の位置から、渡ってきました。

     私は「お父さんが言ったタイミングでさっさと渡ればすんだだろう、何をもたもたしているんだ」と息子をなじりました。

     散髪が終わった後、駐輪場に向かいながら、「帰りはお父さんのいったタイミングをずらすなよ」と言い捨てるように伝えたら、息子は「俺は自分で帰れるから、お父さん先に帰っていいよ」といってきました。

     私は「わかった」というと、さっさと一人で帰宅しました。

     実際、私が居なくても長男は慎重で律儀なので、安全にに帰宅してくるだろうといい意味で? 悪い意味で? 信じていたこともあります。

     二人で行ったはずなのに、父親である私だけが最初に帰ってきたことで、妻から「颯太(仮名)はどうしたの?」と聞かれました。

     「自分一人で帰るっていうから任せてきた」と答えました。

     折しも黄昏時、視界が悪くなる時間帯でした。

     その後、一人で帰って来た長男は、妻に「お父さんに怒られるから、一人で帰って来た」と涙声で答えたそうです。



     子供の、親離れというのは、一度に全ての生活習慣を親から離れてすることはありません。

     一つ一つのことを勇気を持って自分で取り組むことで、親の保護下から離れて行きます。

     長男は「もう、床屋は自分で行き帰りできるから、お父さんにはそう伝えておいて」と妻に答えたそうです。

     私は妻からそれを聞き、なんであの時、あんなことぐらいで怒ってしまったのだろう。

     少なくとも倫理的正当性は長男の方にあって、私のしていることの方がリスクの高い危険な行為なのに。

     と、悔やみましたが後の祭り。



     長男が、いちいち父親に連れ添われなくとも、一人で行動する行動範囲を、それも交通リスクのある大通りを越えたその先にまで拡げたというのは、それは長男の親離れ、自立を期待する父親としては嬉しい成長の一歩です。

     しかし、その大事な親離れの一つの出来事を、「喧嘩別れ」なんていう悲しいコミュニケーションで成立したとして、親として嬉しいことがありましょうか?

     全くもって情けない、それが等身大の私の、一側面から見た時の事実です。



     鬱病になっても私ができたことはただ一つ、鬱病と診断された初期から、現在に至るまで、急な欠勤を取ることもなく、唯時計の針のように毎朝決まった電車に乗り、健常な職員と同程度の勤務をこなし、ギリギリ家計を壊さないよう立ち回っただけです。

     それでも、休日になると、バタンキュー。

     子供達も家にいる休日に、居間で何時間も寝転んでしまう私の醜態が、子供の発育に悪い影響を与えるとして、妻から、そう多くない自宅の一室を、私専用の部屋としてもらい、休日はそこで寝こんでいたのです。

     妻の献身に私は未だ何も返せていません。

     妻には妻で、とても良いところがあり、それはそれとしていつか近況ノートに投稿できたらと思います。



     ご両親の離婚という選択は、お子様であるoknir様に取っても、大変心苦しい出来事だったと思います。

     でも、お父様が、oknir様と妹様には、「厳しくも優しく、よく遊んでくれた」という一節だけで、お父様が如何にお子様であるお二人を慈しんでいたかが手に取るようにわかります。

     私が、自室を与えられることで、休日の精神を保っていられるように、男という生き物は、孤独な時間を安らぎの一つと感じることが多々あります。

     もちろん、お母様やお子様であるoknir様と妹様と、コミュニケーションを取りたいという思いも、決して絶やさず持ち続けていると思います。

     ただ、今は、自分の存在が家族団欒を壊すことにしかならない、と判断されて離婚という道に同意されたのだと思います。

     oknir様はお母様に養われているということで、おそらくまだ社会で働くには至っていないと思います。

     でも、卒業や新たな入学などを期に、お母様と話し合って許しをもらえたら、そしてお父様の連絡先を今でもご存じであれば、一本の電話を差し上げて近況を交換するだけでも、お父様に幸せな時間を感じさせることができると思います。

     とまあ、これは、当事者でない私の勝手な想像です。



     お父様とお母様が喧嘩をし、時にお母様に暴力を振るうことがあったなら、お子様であるoknir様がお母様側に立ったとしても、その当時の瞬間はどうであれ、今、離れて暮らしていらっしゃるお父様は、多分でしかないのですが、自分が女性である妻に手を挙げたことを後悔し、そしてお子様であるoknir様がお母様を支援されていたことを、oknir様の成長の一つのあり方だと、どちらかといえば好意的に捉えているかも知れません。



     とまあ、ここまでが、お父様性善説を前提に私がイメージした、離婚後のお父様像です。

     私なんかの勝手な妄想が、oknir様のご家庭の事情をほんの少し伝えてもらっただけで、勝手に何もかも分かりきったかのように語るのは不遜でしかないかも知れません。

     でも、実質的なコミュニケーションは、お互いが生きているうちしか取れません。



     あくまで、鬱病の経験者として、部外者ながらに感じたことを書き連ねてみました。

     oknir様のこれからの発展が明るいものであるように、との願いを込めて投稿します。



     本当に、こんなサイトの、素人の小説をご覧いただけて、心から感謝申し上げます。

     ゼライヒは架空国家、言ってみれば「異世界」なので、どうしてもその歴史を語ることで、本文の中でゼライヒの生き方を説明しなくてもいいように、自分でも「バカだな」と思いながらゼライヒの歴史を書いています。

     そしてそれが終わったら、リーエとチーヤの成長と、心と心の関係性に重きを置いた内容で、さらに「アデル・ヴァイス」を続けて行きたいと思っています。

     どうぞお時間のある時に、また、こちらを尋ねてくださったら嬉しいです。

     長文、失礼いたしました。



     oknir様のご家族全ての方々に、今後の未来に穏やかな幸あれかし、と祈りの言葉を持って、この投稿を締めさせていただきます。
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