福島原発産の精製水について

 とにかく、放射性物質、及び放射線についての僕の認識はこうだ。



 「放射性物質は、マスコミが国民を萎縮させるほど恐ろしいモノでは無い」



 ということだ。

 恐怖のことを「テラー」といい、恐怖で人を押さえつける行為、思想、政治を「テロリズム」という。

 マスコミは不当に放射性物質の恐怖をあおり、人のもつ「科学的アプローチに基づく次の選択肢への判断」をゆがめる。

 だから、テレビや、朝日新聞に代表されるマスコミは、その悉くが「テロリスト」だと思っている。

 僕が放射性物質は「萎縮し、推考を放棄するほど恐ろしいモノでは無い」という根拠は、ヒロシマ、ナガサキと現在の日本にある。

 世界的に見ても決して広大ではない島国国家の我が国日本に対しアメリカは、その風上に当たる西端よりのヒロシマ、ナガサキに、原爆という、あらゆる放射性物質を広範囲にまき散らし、その巨大な熱線、爆風より非人道的な「放射性物質」という毒汚染をする兵器を実用してきた事実がある。

 それにより風下側の日本全土を放射性物質に汚染されたにもかかわらず、その汚染当時の人々が(およそ78歳以上の人々)、未だに何十万人も存命であり、さばかりか日本は世界に誇る長寿国家となった、しかも広島県に至っては、国内でも長寿県の一つに数えられている事実があるからだ。

 「日本人は核戦争になったら、地球の人類が淘汰されると無意識のうちに信じている。
 だから日本人は核シェルターを用意しようとしない」という言説があるが、核戦争になったところで、原爆のもつ放射性物質拡散という毒汚染の範囲とその実害は、人々を滅亡させるには全く足らない量と質であり、ひとえに「ヒロシマ、ナガサキに原爆投下をされた日本が、その戦後に繁栄している」という事実から目をそらしてはいけないと思う。

 それこそ、ヒロシマ、ナガサキへの原爆でお亡くなりになり、あるいは放射線に被曝した方々への無意識の侮辱である。

 「原爆のような方法で、一瞬高濃度の放射線に犯されても、まだ人生は終わらない」と立ちあがる気概を持ってこそ、二つの原爆被害者に捧げられるべき教訓だと思う。

 福島原発から排出され処理された「精製水」を「汚染水」と呼ぶマスコミが取り上げた記事で、「残留しているトリチウムの半減期は10年で、海洋に放出されると深海まで降りていき、1000年後に再び海上に上がってくることも考えられる」とかバカな話しをもって「汚染水の海洋投棄は絶対にやってはいけない」とする内容っぽいものがあり、バカバカしくて最後まで読まなかった。

 水素の同位体は3種類有り、そのうちの3重水素、トリチウムだけが放射性物質である。

 文献によっては、その半減期を12年としているものもあるが、計算しやすく記事に則り10年だとすると、100兆の放射線をはき出すトリチウムの塊が、その放射線量を半分の50兆に減らすまでの時間が、10年かかるというものである。

 福島元原発から排出される汚染水は、あらゆる放射性物質を取り除かれ、唯一経済的合理性を持った方法では除去できないトリチウムだけが残った状態で現在原発周辺のタンクにためられている。

 そのトリチウムが出す放射線量は、飲み水として認められる基準値の何倍も下回り、理論上飲んでも健康被害に至らないとされる程薄いものである(もちろん、健康に利するものでもないため「実際に飲んでみろ」というのは正義に依った暴言でしかないと思う)。

 それが?

 海中に投棄されたら?

 1000年後に浮かび上がってくる?



 真っ正直にいおう「それで何の被害があるの?」



 10年で半分なら、1000年後なら2の100累乗分の1だ。

 少し明示的に書こう。

 100兆を数字だけで書けば、

 100000000000000だ。

 これに対して2の100累乗は

 1267650600228229401496703205376だ。

 あえて桁を交えて書けば、

 126穣7650秭6002垓2822京9401兆4967億0320万5376だ。

 穣(じょう)の桁から見れば、100兆のなんと小さきことよ。

 仮に海洋投棄時に100兆の放射線を出していたとしても、1000年後には、その悉くが崩壊してしまい、周囲に全く影響を与えない程度の放射線しか出さない、いや、「限界まで小さい値であれば、それはゼロではないがゼロと見なせる」という数学のこざかしい知恵を持ってくれば、完全に浄化されて海面に上がってくるといっていい。

 これの何が問題なんだ?

 もうあの事故から10年以上が経つ。

 いい加減「汚染水」呼ばわりして、フクシマを呪われた土地のように報道するのは、それは恐怖をあおって人々を思考停止させるテロリズムだという認識を持たなければならない。

 広大なフクシマの海岸よりの一地域を「汚染区域」というなら、そもそも日本全国が汚染地域、あなたの今いるその土地が汚染地域ですよ。

 なにせヒロシマとナガサキに原爆が投下されてからまだ、78年しかたっていないんだから。



 日本人全員、放射線に汚染された存在として、海外から忌避される覚悟があるなら福島県を「フクシマ」と呼ぶが良い。

 そうではなく、徹底的に焦土と化したあの大東亜戦争の敗戦から、わずか30年、40年足らずで世界の5大国の一角を占めるに至った誇り高き日本人だという自覚があるなら、福島で処理された精製水を「汚染水」などといってはいけない。

 そして自分たちのやっていることが、生態系を乱さないという自信を持って海洋に放出すべきだと思う。

2件のコメント

  • 初めまして。コメント失礼します。

    全く同感です。
    あと数年で朝日新聞は無くなりそうなので、だんだんとマスコミがよくなっていけばよいのですが。

    どうやら取材できる人がいなくなるのが問題みたいですね。

    ネット民は限界があるし。悩ましいところです。

    少しでもデータを真面に読める人が解説して貰いたいものです。
  • 天のまにまに様

    うわあ、コメントありがとうございます。

    もの凄く単純に嬉しいです。

    お時間のある時、気が向いた時に、拙作、徹攻兵「アデル・ヴォルフ」をご笑覧いただけたら幸いです。



    この投稿の僕の考えにはどこかに間違いがあるのかも知れません。

    でも、僕にはどうしてもこの投稿のようにしか思えてならないのです。

    福島は東西に広みを持つ県です。

    元原発からの直線距離では、他県と同等にあるほど離れている地域でも、現在の行政区画上「福島県」なんです。

    マスコミによる洗脳という「外患誘致」が止まないと考えた僕は、2011年当時「現在の福島県を一旦、東西に分けて、西の会津県と、東の福島県に分けられないものか」と夢想していました。

    もし、それができれば、マスコミがどんなに「フクシマ」と呼んで彼の土地を死の大地のように報じようとも、会津県側の農作物は、その新鮮さ、豊かさをブランド価値として再生できるのではないかと考えたからです。

    戦後78年。

    もうちょっと生き延びれば僕は正真正銘のじじいになりますが、戦後100年を迎えることになります。

    僕が尊敬する政治家のお一人が東條英機元総理大臣閣下です。

    東條閣下は「政治なんて水商売に興味はない」とおっしゃっていたようです。

    しかし戦争回避を願う昭和大帝と、開戦に逸る軍部の間に立ち、なんとか戦争回避にまとめられる可能性は東條以外にないと大帝から見込まれて、陸軍大臣を兼ねた総理大臣に立ち、しかしながら様々な協議の末、開戦に至った時は自宅から宮城に向かって号泣された、との証言が遺族からなされています。

    開戦してからは戦況を有利に運ぶべく奔走し、時には「報告されている市民の生活状況は正しいのか」と考え、自ら確認する方法として公共のゴミ箱の中を覗いて、マスコミから「頭がおかしくなったのでは」と悪口を書かれ、そして戦時中にもかかわらず辞任に追い込まれ、戦後開かれた法理的正当性の全く無い極めて犯罪性の高い「極東軍事裁判」に至っては、「天皇の意に忠実な臣下として」「しかし開戦の決定は、法的権限を何も持たない陛下ではなく、内閣総理大臣として自分が決断した」と、その開戦の責任を一身に背負い、陛下への訴追を躱してみせた上で、晴れ晴れしい表情で死刑にされたとされています。

    その、東條閣下が遺族に残した遺言として「東條家の者は、今後100年間は政治的な口は閉ざせ」というものがあったと聞きます。

    戦後60年となる2005年頃から、日本の世論はじわり、じわりと、短期間では認識できないほどゆっくりと、しかし確実に、「東亜の国々にひたすら謝罪するのが良識」という洗脳された意識から離れ、「アメリカ、ロシア、清という世界三大国家と正面切って戦い、苦い一敗こそしたものの、二勝している世界唯一の国家」「東アジアの植民地を悉く独立に向かい奮い立たせた国家」としての事実を見つめなおそうとしていると思います。

    東條閣下の予言した100年はもう、あとわずかです。

    僕は、戦後100年の節目を迎えた日本人が、日本国が「我こそは誇り高き日本人なり」と雄々しく経つ姿を見てから、それから終活に入れたらいいなあ、と思っています。
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